「これ、仁王さんに」 そういって巴が差し出した箱の中身を推測できないほど仁王は鈍くはない。 時は二月上旬。 この時期にバレンタインデーを意識しない男子なんて自分のところの副部長くらいではないだろうか。 しかしここはあえてとぼけてみる。 「なんじゃ?」 「バレンタインのチョコレートです。仁王さんにはいつもお世話になってますから!」 笑顔で答えた巴とは裏腹に、仁王の表情が一瞬曇った。 前半部分はいい。予想通りだ。 しかし問題は彼女の台詞の後半部分だ。 「別に、世話なんぞしちょらせんがの」 「そんなことないですよ! こうやって離れてるのに練習に付き合ってもらったりしてますし」 こちらの内心の落胆も知らず、無邪気に感謝の言葉を告げる。 確かに、決して近くはない距離であるが週末の予定が合えば厭わず行き来し共にテニスをしている。 こうやって頻繁に会うような仲になるように仁王が苦労して仕向けて行ったことに彼女は気付いていない。 もっとも気づかれないようにしていたのでそれはしょうがない。 鈍そうで疎そうだとは思っていたのだが。 好意が無いとは思わないが、こうして堂々と前面に『義理』を押し出されるとちょっとへこむ。 「……参考までに訊くがの」 「はい?」 「どれくらいの人間に渡しとるんじゃ?」 巴が少し思い出すように視線を上に向ける。 「えっと、青学テニス部の人と、居候先の家族と、スクールのコーチと。それと仁王さんですね」 「他校は俺だけか」 「はい。資金的都合もありますから」 あっけらかんと言う。 つまり資金にもう少し余裕があれば他の誰かにも渡すつもりだったという事か。 自分が(少なくとも他校では)最優先という点を喜ぶべきか、微妙なところである。 少し考えた後、仁王は先ほど巴から渡されたチョコレートの箱をそのまま巴の手に戻す。 「それじゃあこれは、他の誰かに渡しんしゃい」 「え!?」 突き返されるとは想像もしなかったのだろう。 箱をうけとったまま驚いた顔でこちらを見る。 「俺はお前さんから義理チョコをうけとる気はないからの」 「め、迷惑でした?」 「いや、迷惑というのとは違うんじゃけどな」 珍しく言葉を選びあぐねる。 彼女に搦め手は通用しない事は痛感している。 なら残る答えは正攻法しかない。 「それが本命なら喜んでもらうんじゃけどな」 「……え?」 寸の間を置いて、巴の顔がリトマス試験紙のようにあっと言う間に朱に染まる。 「え、あの、じょ、冗談じゃなくて? なんでそんな突然!」 「突然じゃありゃせんよ。お前さんが鈍いだけじゃ」 あげく冗談とか。 それこそ冗談じゃない。 「それともうひとつ」 「今度はなんですか!」 キャパシティの限界を超えているといった風の巴にさらに追い打ちをかける。 「男が必要以上に親切にしてくれると思ったら、下心があるんじゃと思っとった方がええよ」 いっそ清々しいほどの笑顔で仁王はこう付け足した。 純粋な親切心で世話をしている、なんてたまったもんじゃない。 「〜〜〜! それは仁王さんだけじゃないんですか!?」 「そうじゃったらええけどの。で、お前さんチョコはくれんのか?」 「さっき自分でいらないって言ったんじゃないですか!」 「それは義理チョコ。今言ってるのは本命チョコの話じゃ」 しれっと言う仁王の顔めがけてチョコレートの箱が投げつけられた。 勢い余っての行動だったらしく、しまったという表情を巴が浮かべたが、仁王は口の端を歪めるように笑うと顔にぶつかる直前にそれをひょいと片手で受け取った。 「いや、今のは違……っ!」 「それじゃ、確かにいただいたぜよ」 宙を舞った箱の中身がどのような有様になっているかは知る由もない。 |