鞄から出した時点ではそれは、ただの普通のキャンディだった。
「やる」
そう言って無造作に手渡されたキャンディをなにげなく受け取った巴だったが、仁王の鞄からキャンディ、という不自然さに気づくと眉を寄せて不審気な表情を露にする。
こういうところ、巴はまったく取り繕わないので返って新鮮な反応である。
その不審をわかっていて敢えて仁王はとぼけてたずねてみせる。
「どうかしたんか?」
その言葉に、巴は相変わらず不審感丸出しの表情でチラリとこちらに目線だけを向ける。
「……なにが仕掛けてあるんですか、このキャンディ」
「なんじゃ、巴は俺がこのアメ玉になんぞ仕掛けとると思っとるんか?」
甘いモノをそれほど好かない仁王が差し出す、今どき密封されていないセロファンの包装紙でくるんだだけのキャンディ。
怪しまない方がおかしい。
「大体、どうして一個だけなんですか? 仁王さんは食べないんですか?」
「甘いもんはそれほど好いとらん」
「……じゃあ、なんで好きでもないモノが仁王さんの鞄から出てくるんですか」
それぐらいは知っている、といわんばかりの顔である。
逆に巴が甘いモノが好きな事を、仁王は知っている。
いつもならばもらってすぐに口に入れている事だろう。
それがわかっているからなおさら巴も疑っている。
このままではいつまでたっても埒が明かない。
そろそろ頃合いか、と仁王が口を開く。
「本当は、ちょいと仕掛けがしてあるけどの」
「やっぱり!」
きゅっと巴の眉がつり上がる。
「やっぱりって、俺はそんなに信じられんか」
「仁王さんの事は、信頼はしてますけど信用は全然できません!」
きっぱりと巴が断言する。
よくわからんがとりあえず信頼はされているらしい、といいところだけを耳に入れておく。
「で、なんなんですかこのキャンディ? 」
再度繰り返された質問に、仁王は声をひそめて耳元で囁いた。
「これにはの、惚れ薬が入っちょる」
もっともらしく言われた言葉に、巴がうさんくさげな目を向ける。
これは、100%信じていない。
まあさすがの巴もそんな荒唐無稽な話を鵜呑みにするほど単純ではないという事か。
「そんなわけ、ないじゃないですか」
「そうじゃの。食ってみりゃわかる。食うて見んしゃい」
信じる様子のない巴に動じず仁王があっさりとそう言うと、巴の目に迷いが現れた。
信じてはいない。
いないのだけど、食べてみろと言われると不安になる。
「……嘘なんですよね?」
「だから、食ってみりゃわかるって。
まあ、ほんまじゃったら俺にベタ惚れになるがの」
にいっと口の端をつり上げて笑う。
そこから真意をくみ取るのは困難だ。
対して、すでに動揺を顔に現しまくりの巴はアメ玉を凝視して百面相をしている。
これほどわかりやすいのも珍しい。
すでに絶対の自信は80%くらいにまで低下しているようだ。
「どうした? ただのアメ玉なんじゃろ」
意地悪く訊ねる。
「た、ただのアメですよ!」
威勢よく言い返すがやはり口にいれる事が出来ない。
しかしてアメ玉を突き返す事もない。
それをやれば仁王の言う『惚れ薬』を認めたも同然だからだ。
「まあ、心配せんでもそれを食ったかからって巴はなんぞ変わったりはせんよ」
「ってことはやっぱり、嘘なんですよね!」
ほっとしたように言って今度こそ包みを開こうとする巴だったが、仁王の返答を聞いて動きが止まった。
「いや、お前さんはすでに俺にベタ惚れじゃからな」
「ななななな、ナニ言ってるんですか仁王さん!」
一気に巴が顔を真っ赤にして大声をあげた。
実のところをいうと、このキャンディは先日ブン太にもらっただけのものである。
原料は水飴にクエン酸、香料にその他多少の添加物といったところだろう。
特殊なものなど何一つ入ってはいない。
だけど、仁王が言葉にし、それを巴が聞いた時点でこれは本物の惚れ薬だ。
口にすれば、いやでも仁王の言葉を思い出す。
そうすれば、しばらくの間仁王を気にせずにはいられない。
今のように少しでも本当を疑っていればなおさらだ。
食べずに持っていても、巴の性格上、捨てるわけにもいかず、手許にある限りそれが気になってしょうがない。
結果としては、ほぼ同じである。
かくして、ただの砂糖菓子は魔法のクスリに変化する。
無を有に、嘘を真実に変えてしまうのは詐欺の真骨頂だ。
……さて、巴はこれからこの飴玉をどうするか。
しばらく楽しませてもらおうかの。
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