いつものように部活を終えた後のことだった。 バッグからイヤホンを出して耳にはめると、柳生が何気なくそれを見て声をかける。 「おや、切原君。イヤホン換えましたか?」 「そうなんッスよ! 視聴してみたらスゲェいいんで衝動買い。おかげで今月は早々に小遣いピンチっすけど」 流石に柳生は気にしてほしいところにすぐ気が付いてくれる。 機嫌よく答えた切原だが、柳生の表情は微妙だった。 と、いうかその場にいた先輩の表情が皆微妙。 「え、なんスか……?」 おかしなことをいった覚えはないのだが。 きょとんとしているとこれ見よがしにヒソヒソされる。 「こりゃ忘れとるぜよ」 「完全に頭にないな」 「そんな事になるんじゃないかとは思っていましたが……」 つーかヒソヒソしてるのはポーズだけで声丸聞こえなのが腹立たしい。 こちらがイライラしたら向こうの思うつぼだとわかってはいるがだからと言って感情を抑えることが出来るわけもない。 「だから、なんなんスか!」 怒鳴るように言うと、ジャッカルにまで呆れたような顔をされた。 「お前なぁ……」 「赤也、今月14日は何の日だ」 ジャッカルを遮るように柳が言う。 「へ? 今月14日……3月14日って別に祝日じゃねぇし……あーっ!」 血の気が引いたのが自分でもわかった。 すっかり忘れてた。ホワイトデー! 先ほどまでの勢いはどこへやら。 顔を青くして動揺する切原の姿に先輩たちはわざとらしく大きなため息をつく。 しかしそれすら今は気にならない。 先ほど自分で口にしたように、今現在切原の財布の中にはほとんど金がない。 「なー! あ、あの、先輩金貸してくれたりなんかは」 「このたわけが! 金銭の貸し借りなどするはずがなかろうが!」 真田先輩には言ってない。 ていうかなんでバッチリこの場にいるんすか。 「赤也、家で小遣いの前借りとかは出来ねぇのか?」 「……殺されるっす……」 想像しただけで背中に冷たい汗が流れた。 「まあ、ちなみにこれから俺たちは今から巴にお返し買いに行くんだけどね」 背後からぽん、と肩を叩きながらこれ以上ないくらいの笑顔で幸村が言う。 なんでも菓子にせよ物にせよ少額の物をいくつも貰うよりはまとめてひとつ良いものを贈る方が巴もいいだろう、ということになったらしい。 先輩たちの中では。切原の知らないところで。 ていうかなんで先輩たちもバレンタインにチョコ貰ってるんだよ。 色々もやもやするものはあるが、背に腹は代えられないと切原は最後の手段に出た。 「あの、先輩、それ俺も連名っつーわけには……」 「「「「「バカ」」」」」 「たわけが」 「こればかりは……」 途端、全員に即拒否される。 「別にいーじゃないっスか! 俺の分の金は来月ちゃんと払いますから!」 「ほんっとバカだなお前」 「さ、バカにはかまっとれん。行くぜよ」 「そうですね。早くしないと閉店時間が来てしまいます」 切原を無視して先輩たちが背中を向ける。 なおも言いつのろうとする切原に丸井が振り返って言った。 「しゃーねえじゃん、お前のは、ちげぇんだから」 「は……?」 何が違うんだよ? そうは思うのだけど、ジャッカルや柳生にまで断られたのではどうしようもない。 本当に、急ぎの買い物でもないのにどうして衝動買いなんてしてしまったのか。 後悔先に立たずとはまさにこのことだ。 一応その後も切原なりにどうにかしようとしたけれどどうにもならず、その日は来た。 「悪ぃ!」 いきなり両手を合わせながら頭をさげた切原に巴が戸惑った表情を見せる。 「え、あの、切原さん何かやったんですか?」 「やったっつーかやれないっつーか……ほら、今月ホワイトデーだろ」 「あ……」 ホワイトデー、という言葉を出した途端驚くほどに巴の表情が曇る。 そんなにお返しを楽しみにしていたのだろうか。 慌てた切原はなんとか巴の機嫌を取ろうと余計な事を言う。 「いや、先輩たちは連名でなんか用意してるって言ってたぜ?」 「そうですか……」 まったく効果がない。 「巴、あのー」 「すいません、大丈夫です。こちらこそごめんなさい」 「???」 頭を下げられても意味が分からない。 切原が謝るのは当然のこととして、どうして巴が謝る必要があるのだろう。 さらに巴が顔を上げると切原の混乱は倍増する。 え、なんで涙目? そこまで? 「練習の約束してましたけど、やっぱり今日は帰りますね」 「ちょ、ちょっと待てって!」 顔を反らしながら駅の方向へ戻ろうとする巴の腕を思わず掴む。 「ごめんなさい。次会う時までには気持ちの整理つけますから」 「いやいやいやワケわかんねぇし! 今月は無理だけど来月にはお返し買ってくから勘弁してくれよ!」 「…………来月には?」 頑なに切原の手を振り払おうとしていた腕の力がすっと抜ける。 切原としてはよくわからないけれど必死に言い訳を重ねる。 「いやマジで! てか、んなお返しくらいで泣くなよ」 「お返し、くらい……!?」 泣きそうだった顔から一転、巴の眉が一瞬にして吊り上る。 え、どういう事。 「お返しくらいってなんですか! 切原さん全然わかってない!」 「わかってないって何をだよ!」 言われているとおり何が何だかまったくわかってはいないが巴の勢いに押されてこちらもつい怒鳴り返すような口調になる。 それでも内心、巴の涙が引っ込んだようでそちらには安心する。 泣かれるよりは怒られる方がまだマシだ。 「本当にわかってないんですね……切原さん、ホワイトデーは何の日ですか」 「なにってそりゃ、バレンタインのお返しをする日だろ」 「じゃあ、そのバレンタインはそもそもどういう日ですか?」 「そりゃあ……」 そこで、やっと切原にもわかった。 女の子が、好きな男にチョコをくれる日。 ならばそのお返しのホワイトデーは。 そしてそのホワイトデーにお返しを渡せない、という事の意味は。 「ち、違う違う違う違うって! そういう意味じゃねえって! 単なる金欠!」 「だって、会っていきなり頭下げるし、先輩たちはくれるからとか言うし」 「だーかーら、悪かったって! マジすんませんでした!」 年下女子に本気で土下座せんばかりの勢いで頭を下げる。 すると、頭を下げた切原を覗き込むように巴が見た。 「それじゃあ、お返し、もらえます?」 だから金欠で、と言おうとすると首を振られた。 「モノじゃない方のお返しです。とりあえず、コートまで手繋いでもいいですか?」 断るはずがない。 少し躊躇するそぶりを見せつつ巴が差し出してきた手を、慌てて繋ぐ。 ヤバイかわいい。こんなことくらいで心臓が騒ぐ。 「……そういえば、先輩らにもチョコ渡したわけ?」 「あ、はい。試作品をおすそ分けで」 試作品でおすそ分け。 その程度なら、まあ、いいかと自分を納得させる。 「絶対、絶対に来月は用意するからな」 「はい、期待しないで待ってますね」 むきになったように言う切原に、巴が笑顔をみせた。 泣いた顔よりは怒った顔の方がいい。 けど。 やっぱり笑った顔が一番いい。 |