荒い息の音を整えるべく、大きく息を吸って、はく。
そうして再びラケットを構える。
次は。
次こそは。
高く放り投げたボールを頂点で打つ。
小気味良い音を立ててテニスボールは高架下のコンクリートの壁にぶつかった。
が、端から見ていてもそれは到底納得の行く球ではない。
やがて、足元の籠に入ったテニスボールが全てなくなった。
くいしばった歯の隙間からため息を漏らすと、散らばったボールを拾い集める。
こうじゃない。
もっといける筈。
そんな巴の声が聞こえてくるようだった。
切原は内心昨日の自分の軽率な発言を後悔した。
『私なりに頑張ってるのに、結果が出ないから、苦しんでるんじゃないですか!』
それは、彼女の本心からの叫びだったと痛感する。
別に努力していないとは思ってなかったが、切原が知っている限りでも、練習後から巴が壁打ちを開始してもう一時間。
思うような球はいまだ打てていないようだ。
焦り、そして苛立ち。
ボールを拾う為に屈んだ顔から汗がしたたり落ちる。
まるで男子のようにシャツの袖で乱雑に汗を拭き、改めてボールを拾いあげ、次のボールを探すべく顔をあげる。
「ほらよ」
テニスボールを差し出すと巴は切原がそこにいたことに初めて気付いた風な表情を見せた。
「切原さん、まだいたんですか」
「俺の勝手だろ」
不機嫌そうな声に、ついこちらの言葉にもトゲが混じる。
巴が自主練習を始めてすぐの時点で切原は差しのべようとした手を払いのけられている。
これは私の問題で、切原さんは関係ない。放っておいてくれと。
「……だから、一時間も黙って見てたんじゃねえか」
切原に巴は俯くだけで言葉を返さない。
ただ、黙々とボールを拾い集めていく。
仕方がないので切原もまた同じようにボールを集めながら、また口を開く。
「なあ、なんで一人で抱え込むんだ?」
「……」
「一人じゃどーにもならねえことだってあるじゃん」
頼らないのか、頼れないのか。
どうでもいいときには馴れ馴れしく関わってくるくせに、いざ自分が苦しいときには自分の殻に閉じこもる。
そうなると、もう切原にはどうしていいのかわからない。
頼ればいいのに。
頼ってくれればいいのに。
巴の返答が無いので、一人切原は話し続ける。
「あとな、さっき考えてたんだけどな。
関係ないってことねえぞ。
俺は、お前のパートナーだろが。……この合宿の間だけなのかも知れないけど」
聞いてるんだろうか。
ボールを持って振り返り、切原は巴の返事がない理由を知った。
その場に座り込んで、声もなく泣いていたのだ。
いきなりで動揺した切原だったが、同時に一つ思い至る。
……ああ、そっか。
さっきの声。歯を食いしばった姿。
不機嫌なんじゃなくて、泣くのを堪えてたのか。
どうすればいいのかわからないので、とりあえず巴の傍に行き、頭に手を置く。
「あー、もう! 泣くなよ!」
「……だって……私だけ、ずっと落ちこぼれで……けど、皆に迷惑かけちゃダメだって、そう思ってるのに、頑張っても、頑張ってもどんどんわけわかんなくなっちゃって……」
張り詰めていた糸が切れたのだろう。
子供のように泣きじゃくる巴が途切れ途切れに本音を漏らす。
「あのな。
お前、贅沢なんだよ。
まだ一年だろ。テニス始めてからだって。
一回や二回のスランプも無く上にあがってけるわけないじゃん。
しかも、そっから一人で這い上がれるとか思うなよ。
……もちっと冷静に周り見ろ。迷惑とか思ってねえから。頑張ってんのはわかってっから」
まだ半人前の下級生の自分がこうやって誰かを励ますなんて。
けど、コイツを支えてやりたいのは自分だ。
他の誰でもなく。
「とりあえず、今日はもう終りにしとけ。
明日の朝、練習みてやっから。一人でヤミクモに壁打ちしてるよか成果あるだろ」
ぐすぐすと鼻をすすりながら頷く巴と、残りのボールを拾い集めて片付けに入る。
テニスボールの入った籠を持ち上げると、巴が横から手を伸ばしてきたので、二人で片側ずつ持って歩く。
「……切原さん」
「あ?」
「どうして、こんなに私のこと心配してくれるんですか。
私、態度悪かったのに」
「あー……」
咄嗟に頭に浮かんだ理由はふたつ。
「……さっきも言ったろ。
お前は俺のパートナーなんだからな。
Jr.選抜の大会でお前とミクスド組んで優勝するつもりだからな、俺は」
「え、そ、そうなんですか!?」
大会でパートナーを組むなんて話、今の今までした事がなかったので巴が目を丸くする。
それとも、『優勝』なんて言葉を出したからだろうか。
「そ。
んで、U−16大会でオーストラリアだ」
「ど、どこまで本気なんですかその話……」
「どこまでも何も、全部本気に決まってるだろ」
あっさりと言う切原に、涙の跡の見える顔で巴が笑った。
今スランプで苦しんでいる相手にここまで大言壮語するのは切原くらいだろう。
楽観的なのか、それとも信じてくれているのか。
きっとその両方なのだろう。
「じゃあ、切原さん英語頑張らないとダメですね」
茶化すように言う巴に、切原が大げさに顔をしかめた。
「うるせえよ。
いいじゃん別に英語できなくたってテニスできねえわけじゃないんだし」
「それ、私じゃなくて榊コーチに言ってください」
「無茶言うな」
「私、英語得意ですよ。教えましょうか?」
「バカ言え! 一年に勉強教えてもらうなんて真似、できるか!」
口に出さない理由は、もうひとつ。
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