CANDY







「おい、起きろって!」
「ん〜、うるせぇなあ……静かに寝かせろぃ……」

 うるさそうにブン太が布団を顔まで引きずりあげる。
 これは、起きるつもりは露ほどもなさそうだ。

「お前が起こせっつったんだろうが。……俺は行くぞ!後は知らんからな」


 言い捨てるジャッカルに、ブン太が布団から手だけ出して左右に振る。

 まったく。
 これ以上付き合っていても無駄だ。
 早々に見切りをつけてジャッカルはラケットを手に部屋を後にした。


 ここは、Jr.選抜選手の合宿所である。
 一週間の間、全国から集められた選手が共に練習を行う。
 文字通り朝から晩まで。

 とは言っても、早朝の練習は選手の自主性にまかせるとのことで、メニューを組まれていたのは初回だけだった。
 なので、自主練に向かうべくパートナーのブン太を起こしに来たのだが、無駄足に終わった。


 仕方がない。
 いつまでもブン太を起こすことに時間を費やすのは勿体ない、と急遽ジャッカルは予定を変更せざるをえなかった。
 まあ、一人でも練習は出来る。

 とりあえずは素振りか壁打ち……と思いつつコートの一角に向かったジャッカルの目に、同じく一人で練習している選手が目に入る。
 時間が早いせいか、まだ人の少ないコートで一心にサーブの練習をしている女子。




 彼女には、見覚えがある。




 練習メニューが同じミクスド選手ということもあったが、それ以上に彼女は浮いていたから、印象に残っていたのだ。
 なんというか、プレイスタイルが安定していない。
 自分のテニスを決めかねているように見える。


 この合宿に参加しているのは言うまでもなく全国区の、中学トップクラスの選手ばかりだ。
 当然、確固たる型を持っている。
 それが、彼女にはまだない。


 そういえば、柳が言っていた。
 青学から、監督推薦枠とはいえテニス歴一年未満で選抜選手に選ばれたミクスド女子がいる、と。
 彼女がそうなのだろうか。
 だとすれば妙な違和感も納得できる。


 確か、名前は……なんだったかな。
 そんな事を考えながらコートに足を踏み入れる。


「あ、おはようございます!」


 視界の端にでも映ったのだろう。
 彼女がこちらに向かってぺこり、と頭を下げた。
 別に会話をするつもりはなかったのだけど、こちらも軽く会釈する。

「よう、おはよう。
 ……お前も、個人練習か?」


 名前を呼ぼうとして、名前を知らない事を思い出す。
 いや確か一度は聞いたことがあるはずなんだが。

 幸い、ジャッカルの短い沈黙に彼女が気が付いた様子はない。


「も、ってことはひょっとしてジャッカルさんもですか?」
「ああ。
 ブン太の奴がどうしても起きなくてな」 


 向こうは、自分の名前を知っているのか。
 自分なんかは特殊例なので覚えやすいからといえばそうなのだがなんだか申し訳ない。


「あ、じゃあ、よかったら一緒に練習しませんか?
 一人より、二人の方ができることがたくさんありますし!」


 嬉しげに提案する。
 一年の女子選手との練習がそれほど益になるとも思えなかったが、名前を覚えていない少々の罪悪感も手伝って、ジャッカルはその提案を受けることにした。
 別に、益はなくとも損にもならない。


「そうだな。
 よろしく頼む」
「こちらこそお願いします!」



 ほっとしたような彼女の笑顔を見て、この提案を受けたのは正解だったと内心確信した。


 コートの両側に別れて、軽く打ち合いをする。
 なるほど、やっぱり荒削りだ。
 朝一番の練習だと言うのに、全力でボールを追いかけてくる。
 この調子では以降の練習をこなしていけるのだろうかと他人事ながら心配になりかねないほどに。
 そして、粘り強い。
 ラフボールを絶対に諦めない。
 この執着心は、なかなかジャッカルの好むところである。


「……じゃ、このへんにしとくか」

 しばらく打ち合った後、ジャッカルがラケットを下ろす。

「え、もう、終わりですか?」


 まだまだやりあうつもりであったのだろう、ネットの向こう側で不満気な声を出しているが、その息は荒い。

「あんまり疲れきったらこの後の練習に差し障るだろ。
 ウォームダウンして備えとけ」
「…………ジャッカルさんは、楽そうですけど」

 涼しい顔をしたジャッカルを恨めしげに睨んでくる。
 基礎体力が違うので当たり前だ。
 伊達に四つの肺を持つと言われてはいない。


「まあ、これが取り得だからな。
 無理してマネしたっていきなり体力がつくわけでもねえだろ」
「それは……そうですけど」
「だったら、自分のペースで行きゃいい。
 俺だって初めっから楽だったわけじゃねえよ」


 この負けん気の強さはうちのエースを彷彿とさせる。
 まだ若干残っている不服そうな表情に、ジャッカルは苦笑を浮かべた。


「……あ、そうだ、ジャッカルさん」
「なんだ?」


 唐突に、上着のポケットに手を入れると、何かを取り出してジャッカルに差し出した。
 …………キャンディ?

 カラフルな包装紙に入ったそれを、彼女は常に持ち歩いているのだろうか。
 今自分達が着ている上着は選抜選手のもので、普段着ている学校のユニフォームとは別だというのに。


「今日は、練習つきあってくれてありがとうございました!」

 そういうと、ペコリと頭を下げる。 
 そしてそのまま立ち去ろうとした彼女を、つい反射的に呼び止めた。

「あ、待った」
「はい?」


 振り返り、ジャッカルの言葉を待つ。
 少し言い淀んだ後、正直に白状した。


「悪い。
 ……名前、聞いといていいか?」



 今更といえば今更なその台詞に、少し彼女は驚いたような顔をした後で、苦笑いを浮かべて答えた。


「あはは、すいません。
 名前名乗るの忘れてましたね。
 私、青学一年の赤月巴です。合宿の間、よろしくお願いしますね!」


 そう言うと、巴は駆け足で去っていった。


 そうだ、赤月だ。
 そんな名前だった。


 今度は忘れてしまわないように、ともう一度頭の中でその名前を復唱していたジャッカルに、巴が去っていったのと反対方向から無遠慮な手が伸びてきて首をしめる。

「なにー?
 俺様が居ない間に、女の子と練習かよ。
 油断も隙もねえなあ、ジャッカル」
「ブン太……遅えぞ!」

 腕を振り払うと、ニヤニヤと笑いながらブン太がこちらを見ている。
 と、そのブン太の目が、ジャッカルが握っていたものに止まった。


「あれ、アメなんか持ってんのジャッカル?
 珍しいな」
「やらねえぞ!」


 皆まで言わさず、慌ててキャンディをポケットにしまいこむ。



 冷静に考えれば、別にそこまでムキになって守るほどのものじゃない気もしたけれど、誰かにあげてしまう気にはなぜかならなかった。  






でも、多分巴ちゃんはジャッカルの苗字知らない(笑)。
ブン太や切原に振り回されがちな貧乏くじのジャッカル大好きです。

2008.11.20.

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