試合後も、彼女の顔は浮かないままだった。
良い内容で勝利を納めているにも関わらず。
『問題ないよ』
『いい試合内容だったよ』
そんな周囲の言葉は彼女の耳をすり抜けてしまうらしい。
練習も、試合も全力で挑んでいるのがわかる。
それなのに。
「自分のテニスが出来ている佐伯さんにはわからない」
彼女の悩み事を理解したかったのだけれど、そんな拒絶の言葉しか巴は返してくれなかった。
そして、今も彼女は一人もがいている。
試合後、落ち込んでいる様子の巴が気になって彼女を探していた佐伯が見つけたのは、一心不乱に壁打ちをする巴の姿だった。
1日の練習を終え、練習試合の後で身体は疲れきっているはずだ。
それなのに、自分を痛めつけるのが目的かのように彼女はラケットを振り続けている。
無茶だ。
そう思い、彼女を止めるべく声をかけようとした佐伯に反対方向から別の声がかけられた。
「ほっとったらええやん」
突き放すような言葉の主は白石だった。
いつからそこに居たのだろう。
自分よりも前だったのか、後なのか。
どちらにせよ白石に巴を止めようとする気は全く感じられない。
佐伯はひとつ、ため息をつくと白石に向き直る。
「どう見たって彼女は情緒不安定だろ。
放っておくのがいいとは、俺には思えない」
「誰が何言うたって一緒や。
一人で足掻いてたらそのうち納得するやろ。……理想と現実のミゾに」
理想と現実のミゾ。
それは言い得て妙だった。
おそらく彼女の目指している場所はとてつもなく高い。
永久にたどり着けないかもしれないその到達点に、今すぐ手をかけようとしている様は、ある意味滑稽で、痛々しい。
何を言っても聞こうとしない。言えば言うほど、意固地になる。
確かに、白石の言う通り放っておけばいいのかもしれない。
それでも。
「それでも、俺は今彼女についててあげたいよ」
彼女の為ではなく、自分の為に。
笑顔を無くしてしまった彼女についていてやりたい。
「……佐伯、お前が手を貸してやれるんはせいぜいこの合宿の間だけやろ。
これから先ずっと、赤月が転ぶ度に手を貸してやれるわけやない。
それやったら、その手助けに慣れさせたらあかんのちゃうんか」
ずっと手を貸してやりたくても、それは叶わない。
四六時中一緒にいるのは今だけなのだから。
眉を寄せる白石を見て、唐突に佐伯も気が付いた。
これは佐伯だけに向けられた言葉じゃない。
白石はむしろ自分に言い聞かせているのだ。
カラン。
「……!」
急に表情を変え、佐伯が巴の方へ駆け寄った。
白石も同様だ。
視線の先では、さっきまで一心不乱に壁打ちをしていた巴が倒れ伏していた。
「巴、……巴!?」
声かけをしながら肩を揺さぶろうとしたその手を白石が止めた。
「心配ない。……寝とるだけや」
言われて見ると、確かに口から漏れるのは寝息。
気を失うように眠ってしまったらしい。
おそらくこの数日眠りも浅かったのだろう。
「ほんま、ここまで頑固もんの阿呆やとは思わんかったわ」
そう言うと白石は側に転がったラケットを拾い上げ、佐伯に顔を向けた。
「医務室まで、連れてったってや」
頷くと、ゆっくりと巴を抱えあげる。
腕にかかる重みと温かみ。
医務室へ歩を進める佐伯の少し後に巴のラケットを持った白石が続く。
やはり疲労は限界だったんだろう。
医務室のベッドに寝かしつけても巴は一度も目を覚まさなかった。
白石がベッドの側にそっとラケットを立てかける。
「……心配なさそうでよかった」
イスに腰掛けながら呟くように佐伯が言うと、白石も苦笑交じりに同意する。
「ほんま、はた迷惑なやっちゃで。
……けど、お前はこんな風に振り回されんの、嫌いとちゃうんやろ」
「そうだね」
「気がしれんわ」
「けど、白石もそれが大事な人なら、否応無くこうやって振り回されるんだろ?」
尋ねるでもなく、確認するような言葉。
少しの沈黙の後、白石はふっと息を吐いて「さあな」とだけ言った。
医務室に今は他に人もおらず、とても静かだ。
日も暮れかけた窓の外には人影もあまり見えない。
ここで過ごすのも、あと数日。
その数日で何が始まり、そして終わるのか。
それはまだわからない。
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