「……リョーガさん、まだ起きてますか?」
控えめなノックの後に続いた巴の小さな声。
時刻は日付が変わる少し前。
家人は各自の部屋に移っている。リョーガも巴も例外ではない。
リョーガは勿論まだ起きていたが、巴は普段ならもうとっくの間に寝ている時間ではなかっただろうか。
ランニング等で朝が早い彼女は夜も比較的早い。
「起きてるけど、どした?」
返事の代わりに、そろそろと戸が開き、巴が顔を覗かせる。
別にこちらは何をしていたわけでもない。軽くネットサーフィンをしていた程度だ。
「入ってもいいですか?」
「ん」
リョーガの承諾の返事を得て、ゆっくり巴が室内に足を踏み入れる。
巴がこの部屋に入って来たのは何気に今が初めてだ。
別に入室禁止を言い渡したわけではないけれど、日中はリョーガはこの部屋に滅多にいる事がないからだ。
だいたいいつもどこかしら共有空間にリョーガはいる。
よって、ここに巴は来る用がない。日中ならば。
「んで、どうした?」
部屋の隅に腰を下ろす巴に重ねて尋ねる。
何か深刻な話でもあるのか、そう思ったのだが、巴の返事は違った。
「……眠れなくて」
「眠れない?」
「さっき見た……DVDが」
言いにくそうに口にする。
さっき見たDVD。
確かに寝る前に居間でDVDを1本見た。
成る程。
巴が部屋に来た理由に思い至ってリョーガの口に笑みが浮かぶ。
勿論それは巴の目に入り、彼女は不満気に口を尖らせる。
「バ、バカにしましたね、今!」
「いや、だってそれってお前……怖くて眠れねぇって事だろ?」
鑑賞したDVDはホラームービーだった。
公開時に話題になったとかなんとかで借りてきたヤツだ。
「だってリョーガさん全然怖くないって言うから!」
「そんな怖かったかぁ? チビ助だって無反応だったじゃん」
「こ、怖いものは怖いんですよ!」
『間』を生かしたつくりのホラーは想像力が豊かな者ほど顕著な反応を見せる。
対して、そこにあるものにのみ反応を示すような人種にはあまり効果がない。
欧米のホラーとジャパニーズホラーの違いに現れるように『怖さ』の基準が若干違うのだ。
そして、現実主義者のリョーマやリョーガに対して、必要以上に想像力が豊かなのが巴である。
「部屋に一人でいたら暗闇に何かいそうな気になって眠れないんですよ!」
「キレられてもなぁ。……んで、どうしろって?」
「……ここで寝ちゃ、ダメですか?」
ニヤニヤと笑っていたリョーガの表情が一瞬凍りついた。
瞬時に動揺を取り繕う。
「巴、お前な……」
「だって、今日は菜々子さんいないし」
菜々子は今所用で実家に帰っている。
しばらく巴に指を差したまま、何事か言おうとしていたリョーガだったが、少しの沈黙のあと深々と溜息を吐くにとどまった。
「わかった。んじゃ布団持って来い」
「え?」
「別に、俺の布団で一緒に寝たいってんならそれでも構わないぜ?」
「す、すぐ取ってきます!」
宣言どおり部屋を去ると、すぐに自分の布団を抱えて戻ってくる。
但し掛け布団だけ。
それにくるまると、先ほどまでの不安そうな表情ではなく、安心しきったような顔でこちらに笑いかける。
「あ、リョーガさんは気にしないでなんでもしててください」
そう言うと、リョーガの傍らでネコのように布団ごと丸まった。
少しもしないうちに心地よさそうな寝息がリョーガの耳に届く。
早い。
「……ったく」
苦笑が漏れる。
ホラー映画を怖がったり、こうして無邪気にリョーガの横で眠り込んでしまったり。
十三歳の女の子と言うのはこんなにも幼いものだろうか。それとも、巴だけなのだろうか。
あまりに無防備で、時々困る。
全幅の信頼を寄せないで欲しい。
「人の気も知らねえで、いい気なもんだ」
覗きこむと、幸せそうな寝顔。
なんでもしていていい、とは言われたが別に今しなければならないような事は何もしていない。
巴が寝入ってしまったのなら彼女の部屋に戻そうかと思わないでもなかったが、承諾した以上ここで寝かしておく事に決めた。
とは言え、自分が動くと起こしてしまいそうで床を敷く気にもならない。
どうせ、今夜はまともに眠れそうもないのだ。
床の上じゃ明日身体が痛むだろうな。
そんな事を思いながら、そのまま身体を横たわらせて、部屋の灯りを消す。
気は短い方じゃない。
もうしばらく、待っててやるよ。
とはいえ巴、なるたけ早く大人になってくれねえとこっちの身が保たねぇわ。
|