「はぁ……」
帰路につきながら、巴は深いため息をついた。
間に合わなかった。
今日は二月十四日、バレンタインデーである。
とぼとぼと歩く巴の手にある紙袋の中には、このところずっと学校の休み時間を利用して作っていたマフラー…になる予定だった毛糸が入っている。
朋香に怒られ、または呆れられつつ指導を仰ぎ、部活のない日には家に押し掛けて製作に励んでいたのだが、編み物は巴の天敵だった。
編み棒を引っ掛ける、目を飛ばす。目が詰まりすぎる。もしくは緩すぎる。
年が明ける前から挑戦していたというのに、編んではほどき編んではほどきと一進一退を繰り返しているうちに当日が来てしまった。
マフラーは予定の長さの三分の二も編めていない。
これは当然渡せるようなものじゃない。
まあ、しょうがないか。
チョコレートだけでも渡せれば。
余暇は全て編み物に費やしていたので手作りではないが、何もないよりはよっぽどいい。
そう自分を奮い立たせていた巴の視界に、突如二本の腕が映った。
と、思う間もなく後ろから羽交い絞めにされる。
「よ、おかえりっ!」
こんなことをする人間は一人しかいない。
「リョーガさんっ!
危うく大声あげるところだったじゃないですか!」
なんとか腕を解いて振り返ると、やはりそこに居たのはリョーガだった。
どこかからの帰りのようだ。
巴の抗議もなんのその。まったく堪えた様子はない。
「まあそう怒んなって。コレやるから」
そう言って巴の鼻先に小さな箱を突きつける。
五センチ四方くらいの、小さな箱。
「へ? なんですか、これ」
「開けてみりゃわかるって」
それはそのとおりである。
納得して包装紙をはがし、箱を開ける。
箱の中にはもうひとつ、箱。
その中にはもうひとつ箱……ではなく。
ペンダントが、入っていた。
アンティック風の鎖に石の飾り。
ガラスなのか宝石なのか残念ながら巴には判別できないのだがとりあえず明らかにオモチャ、と言うような細工ではない。
「ど、どうしたんですかコレ?」
「バカ、んなもん落ちてるわけねーだろが。買ってきたんだよさっき」
「え、なんで」
「なんでって……オマエ、今日何の日かわかってないのか?」
今日はだからバレンタインデーである。
本来なら何か渡すのは巴のほうではないのか。
「今日は、女の子がチョコを好きな人にあげる日ですよ?」
「は?」
沈黙。
ややあって、リョーガが何かに思い当たったらしく、手を打つ。
「ああ、それで今日はなんか店に女ばっかりだったのか。
チョコレート売り場はやけに広いし。なるほどな」
「…………何の日だと勘違いしていたんですか?」
「いや、バレンタインだと」
訳がわからない。
「あー、つまりだな。
バレンタインってのは女が好きなヤツにチョコレートを渡す日だと、そう言うんだろ?」
「はい」
「そりゃ日本だけだ。
向こうじゃバレンタインに物を贈んのは別に女に限らねえんだよ。
さらに言うとチョコレートってのも無くはないが極一部だ」
なまじ同じ名前のイベントなので、違いがあるとは思いもしなかった。
納得したところで、一つ疑問が湧き出る。
「あれ、じゃあホワイトデーはどうなってるんですか?」
「なんだそりゃ」
「ああ、ないんですか……。
まあ要するに、バレンタインにチョコレートをもらった男の子がお返しをする日です。
ちょうど一ヵ月後の3月14日になりますね」
「ふーん、んなもんまで決まってんのか」
感心したようにリョーガが言う。
だいぶ欧米と日本ではバレンタインの内容は異なるようだ。
とそこではたと気が付く。
バレンタインの贈り物。
「あ、あの、もらえませんこれ!」
「なんでだよ」
「…………私、チョコしか持ってないのにこんないいもの貰えません」
三倍返しとか言うのは聞くが、いくらなんでもそれはちょっと。
マフラーがたとえ完成していたとしてもそれと引き換えに受け取るにはこれは格が違いすぎる。
逆に完成していなくてよかった。
そう思ったのに、リョーガの放った言葉は巴の予想外だった。
「マフラーくれるんじゃねえの?」
「な、ななななな、なんでそれ知ってるんですか!?」
ずっと秘密裏に製作していたはずなのに。
主に学校、ここ最近は家でも少しやっていたがひっそり部屋で編んでいた。
動揺する巴に、リョーガがしれっと紙袋を指差す。
「その紙袋もってしょっちゅう出かけてたろ。あと部屋で編み物しながら居眠りしてたなぁ。
あんだけ挙動不審だったら却ってバレバレだって」
「…………」
隠せていたと思っていたのだけれど筒抜けだったようだ。
「で、くれねぇの?」
「あげられません。
完成しなかったし、出来も悪いし」
拗ねたように言う巴に、リョーガは人の悪そうな笑みを浮かべた。
少しかがんで巴の顔を見上げるように見る。
「ああ、お前不器用そうだもんなぁ」
「ほ、ほっといてくださいよ!
だからあげられないって言ってるじゃないですか」
図星を指されると腹が立つ。
突っ返すつもりで巴が差し出したペンダントを受け取ると、リョーガはそれを恭しく巴の首につけた。
受け取れない、と今言った所なのに「うん、似合ってる」などと満足そうに言う。
「だから……!」
「今完成してないんだったら来月でいいじゃん。これのお返しってことで」
「え」
「ホワイトデー、だろ? 来月は」
ホワイトデーは男子がお返しをする日なんだけれど。
いや問題はそこじゃない。
「問題は未完成ってことだけじゃないんですけど」
「うん、ヘタクソなんだろ。
編み目もバラッバラで幅もしっちゃかめっちゃかで」
「わかってるんだったら……」
「いかにもそういうの苦手そうな巴が、俺のためにがんばって作ってんだろ?
編み物なんて初めてやったんじゃねえの?
そんなの、欲しいに決まってんじゃんか
カシミアやブランド物のよりずっとそのマフラーが欲しい」
にこりと笑って言う。
おかげで、次に言おうとした言葉がなんだったのかわからなくなった。
ああもう。
これだから。
こういうことをわかってくれるから、好きなんだけど。
「ほんっとうに謙遜でなく出来が悪いですからね」
「ああ。覚悟できてるから」
「待ってもらっても、3/14までに間に合わないかも知れませんからね」
「そん時は、巴が頭にリボンつけて『代わりに私がプレゼントです』ってやってくれるんだろ?」
「や、やりませんよ絶対に!」
しかし間に合ったとしてもホワイトデーの頃にはもうマフラーは不要になっているんじゃないだろうか。
そう言うと、リョーガは笑った。
「そんなもん、冬は何度だって巡ってくるんだから関係ないって」
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