父の携帯が鳴る。
買った時に設定されていたまま変えられていないこの音が鳴ると、巴は心中ため息をつく。
「もしもし。ああ、うん。……わかった、そのまま保持しておいてくれ。すぐ行く」
携帯を切った京四郎が、申し訳なさそうに巴を見る。
「すまん」
「いいよ、しょうがないじゃない。
それより早く支度支度!」
内心のため息を悟られないようにことさら元気よく言う。
長い間に培った習慣だが久しぶりなので本音が透けて見えやしないかと少し不安になった。
いや、違う。
きっと京四郎はいつも気付いている。
わかっているけど知らないふりをしてくれている。
ドアが閉まり、京四郎の足音が遠くなると、巴は大きく息をはいて椅子に腰をおろした。
まあ、予測はついていたんだけど。
久しぶりの家族水入らずだったんだけどなぁ。
まあ、食事があらかた終わったあとだったのは良かったかな。
そう思いながら手早く後片付けを済ませる。
カチコチカチコチ……。
すべてすんでしまうと隣の部屋の時計の音がやけに大きく響く。
そういえば、一人で過ごす夜も久しぶりだ。
越前家では常に誰かしら家にいたから、一人になるなんてことはまずない。
まずいなあ、ちょっと寂しくなってきたかも。
クリスマスだから、尚更かな。
大丈夫、明日の朝にはお父さんだって帰ってくる。
そんなことを思いながら、テレビを付ける。
画面に映るにぎやかな番組は、ただただ空虚だ。
一人を紛らわす為、見るともなしに見ていると、不意にチャイムが鳴った。
気を抜いていたので心臓が止まるかというくらいに驚く。
慌てて玄関に向かう。
けど、こんな時間に?
自ら認めているように巴の家は山の中だ。
日中だってそんなに人が訪ねてくるわけじゃない。
ましてや夜も更けたこんな真冬の日に。京四郎を見送ったときに外を見たら、少しだけ雪も降っていた。
強盗だってこんな日は家にこもっているだろう。
不審に思って少しドアを開けることを躊躇していると、焦れたようにドアの向こう側から声がした。
「誰もいねえのか?おーい、こんばんはー!」
聞き覚えのある声。
これはまさか。
慌ててドアを開けた途端に向こう側から屋内に駆け込んできた。
「ぅっわー、寒ィっ! ってかいるんじゃんか!
あーもう中々開けてくれねぇから表で凍死するかと思ったぜ」
マシンガンのようにまくし立てながら頭を乱暴に振って積もった雪を払っているのは、見紛う事もなく越前リョーガだった。
「えー……なんでぇ?」
思わず気の抜けた声を漏らす。
巴としては独り言のようなものだったのだが、キッチリ聞きとがめたリョーガが彼女に借りたバスタオルで髪を拭きながらそれに答える。
「なんでって、そりゃお前がチビ助の家にいねぇからじゃん。
会いたいから来た……んだけどこんな山ん中とは計算外だったけどな」
「……そ、そですか」
再びまた台所に立って熱い柚子茶 を入れる。
カップも充分に温めたそれを受け取りながら、あたりを見渡してリョーガが不思議そうに言う。
「なぁ、オヤジさんは?」
「患者さんに急変があったらしくって、さっき病院に行っちゃいました」
「え!?」
驚いたような声に、逆に巴の方が少し驚く。
「え、どうかしました?」
「オマエ、じゃあ一人だったのか。……クリスマスなのに」
イベント事があろうとなかろうと、京四郎は多忙の身である。
一人で過ごすことはここで暮らしていた頃の巴に取っては珍しいことではない。
なので、リョーガにそれを心配されたことが意外だった。
およそそんなことに頓着しそうにないイメージだったので。
「……ねえ、リョーガさん。
リョーガさんはサンタさんって、信じてました?」
リョーガの言葉とは全く関係のなさそうな、そんな質問をいきなりしてきた巴にリョーガは少々面食らいながら否と返答する。
サンタを信じるどころか、サンタを本気で信じているガキがいることすら信じていない。
リョーガはそういう子供だった。
お幸せな家庭で、ぬくぬくと過ごしている子供だけが信じられる砂糖菓子のように甘い夢。
別にそれを自分が欲しいとは思わないけれど。
ある程度予想ができていただろうリョーガの答えに、巴は自分はずっと信じていた、とそう言う。
「12歳まで、ずっと信じていたんです。
お父さんがサンタクロースだったんだってわかったときにはすごくショックで。
あー、だからですね、サンタさんは本当はいないんだ、って、もうわかってるんですけど……」
わかっているんだけど、と言いながらリョーガの顔を見てにこっと笑う。
「こんな風に久しぶりに独りでさびしいなぁ、って思ってたときにリョーガさんが来てくれたりなんかしちゃうと
やっぱりサンタさんはいるのかも、なんて思っちゃいますね」
巴の言葉に、リョーガは少し唇を開いて何か言おうとしたが言葉にならず、視線をさまよわせたと思うと手を口にやって天を仰いだ。
「え、あれ、どうかしました?」
「…………いや。
なんか、自分が急にすげぇ穢れた人間に思えただけ」
「え、な、なんでですか? そんなことないですよ?」
慌てたように言う巴は、きっと本当に幸せなクリスマスを今まで過ごしてきたんだろうと思う。
そして、それを心底良かったと思う自分がいる。
なんだか無性に嬉しくておかしくて忍び笑いをもらしたリョーガに巴はバカにされているのか、と思ったのかふくれっつらをした。
誰も見ていないテレビからは、相変わらずにぎやかな音が流れている。
やがて、空になったコップをテーブルに置くと、リョーガはひとつ質問を巴に投げかけた。
「なあ、じゃあオレにはサンタはプレゼントくれないわけか?」
「あはは、なに言ってるんですかリョーガさん。
サンタさんがプレゼントくれるのは子供にだけですよー?」
巴の中の『子供』の年齢上限はどこになっているのだろう。
少なくとも巴自身は子供に分類されているようだが。
「成る程ね……。
じゃ、サンタにプレゼントをもらえない俺は、自分で調達するしかないわけだ」
「……へ?」
リモコンに手を伸ばすと、テレビの電源を切る。
そして巴の両肩に腕を置いた。
顔の近さに赤くなった巴の目を捉え、視線を外さずにこりと笑う。
「クリスマスプレゼント、ちょうだい?」
―― Happy merry christmas! ――
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