安心






 あたたかい。
 なんだかひどく心地いい。

 微かにそう思った事だけをなんとなく覚えている。


 次に巴が気がついたのは医務室のベッドの上だった。



「……あれ?」

 微妙に高い天井。
 かすかな消毒薬の匂い。
 蛍光灯の灯りが眩しい。

 状況が把握できないままに周りを見渡そうとすると、視界に入るよりも先に耳にその情報が入ってきた。


「やっと目ぇ覚めたんか、このアホ!」
「え……忍足……さん?」

 続いて目に入ってきたのは見覚えのある金髪。
 謙也だ。


「私……確か」

 壁打ちをしている途中でなんだかフラフラして。
 記憶を辿ろうとする巴に畳み掛けるように謙也の怒鳴り声が続く。


「あんなハードな練習の後にさらに無茶苦茶な特訓なんかするヤツがあるか、アホ! 倒れて当然っちゅーやつや!」
「……あほあほ言いすぎです」
「なんぼでも言うたるわ、アホアホアホアホアホ!」


 とりあえず、壁打ちの途中に倒れたのだという事は思い出せた。
 謙也がここにいるということは、きっと彼がここまで運んでくれたのだろう。
 目が覚めた途端の罵詈雑言もそれなら仕方がない。

 お礼を言うべく身体を起こそうとして、巴は枕元に謙也が突っ伏している事に気がついた。
 巴の肩のあたりに自分の額をもたれかけさせている。


「……ほんま、心臓とまるか思たわ……」


 頬に当たる柔らかな髪の感触。




「すいません、心配かけて。……忍足さんがここまで連れて来てくれたんですよね? ありがとうございました」
「お礼も謝るんもいらん。かわりに二度とせんとってくれ」
「……はい」


 自分でもびっくりするくらいに素直な返事が口から出た。
 倒れる前までの押しつぶされそうな強迫観念はもうない。


「もうこんな無茶しません。私、ちょっと焦ってたみたいですね」 
「ほんまやで。……焦らんとゆっくり少しずつやってったらええねん」
「あはは、スピードスターの台詞とも思えませんね」


 笑うと、やっと顔をあげた謙也がほっとしたような顔を見せた。
 距離の近さに今更気がついてドキリとする。
 幸い、巴の動揺は悟られない。


「なんや久しぶりに巴の笑った顔見た気ぃするわ。安心した。……ほなもうちょい寝とき」
「……謙也さんは?」
「俺も、もうちょいおるわ」


 また目ぇさましてどっか行かれたらかなわんからな、と冗談めかして言った謙也の言葉に巴は安心してまぶたを閉じる。
 そして、この安心感の正体に関して考えようとするものの、意識は睡魔にゆっくりと引きずられていった。







謙也はいいヤツですよね。
あとあの髪は柔らかそうだなと思うんですが実際どうなんでしょ。

初出 2011.8.29.

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