ふっ、と背後の明かりが消えた。
消灯時間になったのだろう。
合宿所の各施設の明かりは消灯時間を過ぎると一斉に消える。
そうでもしないといつまでたっても屋内コートなどで練習を続ける者が後を絶たないからだ。
さして驚くこともなく日吉はそう思ったが、そうは思わなかった者もすぐそばにいたらしい。
「ひゃあっ!」
間の抜けた声が意外なほど近くであがる。
日吉は聞こえなかったことにして素振りを再開した。
が、しばらくして足音がこちらに近づいてくるのに気付くと内心舌打ちをする。
「あのー、そこにいるのって……日吉さんですか?」
「だったらどうした」
「あ、やっぱり日吉さんでしたか。……これって停電ですかね?」
恐る恐る尋ねながら茂みの向こうから現れたその姿は、夜の暗がりに紛れてしかとは判別しにくいがその声と雰囲気で巴だと知れた。
明かりが消えたのが予想外だったらしく、普段騒がしい彼女も様子を窺うようにひそやかな声だ。
「バカか。宿舎の明かりはついてるだろ。消灯時間だよ」
「え……あ、本当ですね。もうそんな時間でしたか」
動揺して気付いていなかったのだろう。
背後を振り返って明かりに気付くと決まり悪そうに頭をかいた。
宿舎までの街灯もぽつりぽつりと間を空けて灯っている。
明かりが消えた原因も分かったのだからさっさと宿舎に戻るだろうと思って再びラケットを構えた日吉だったが、巴はその場を立ち去る様子がない。
「まだ何かあるのか」
いささか苛立たしげな声を上げてもう一度巴の方を向く。
さっきから様子がおかしい。
日中の巴ならこんな意味ありげな行動はしない。
もともと愛想という言葉には縁の無い日吉の不機嫌な様子は薄闇の中とは言え声の調子などで分かる。巴は言いづらそうに口を開いた。
「いえ、あの、日吉さんは宿舎に戻らないんですか?」
「それがお前に関係あるのか」
「いやー……ほら、戻られるんだったら一緒に戻ろうかなー、とかって」
「は?」
なんで一緒に。
ついでに言うと日吉はまだ終了するつもりは毛頭ない。
当然、消灯時間ということはもう部屋に戻るようにという意味であることは分かっているが。
時間を過ぎても自主練習を行う選手は自分だけではない。
そんなことは巴も知っているハズだ。
そこまで考えたところでひとつの可能性に気付く。
あ。
もしかして。
「まさかお前、怖いとか言うんじゃないだろうな」
「あははははははははは、まさか!」
「……」
「…………スイマセン、怖いです…………」
まだそこまで遅い時間じゃない。
明かりだってないわけじゃない。
日吉の怪訝な思いを汲み取ったのか、巴が慌てたように言い訳する。
「いや、あの、普段はこんなじゃないですよ当然!
けどさっきは急に真っ暗になったりしたからつい色々想像しちゃって……」
「色々……」
「そう、色々」
言い募る巴に少し考えながら日吉が口を開く。
「例えば、さっきまで周りに誰もいなかったはずなのに明かりが消えた途端すぐ後ろに誰かの気配がするとか」
「そうそう、そういう……って、やめてくださいよまた想像しちゃうじゃないですか!」
「その方向に手を伸ばしてもやっぱり誰もいないのに不明瞭な声が耳元で聞こえ続けるとか」
「だからやめてくださいってばー!」
耳を押さえながら巴が叫ぶ。
その時、暗がりではあるが、巴の目にはっきり日吉の口の端がつり上がるのが見えた。
「わかった、部屋まで送っていってやるよ」
……選択を間違えた。
巴がそう気付くのに間はかからなかった。
が、既に手遅れだった。
「うわあああぁぁぁぁん、鳥取さぁん!!!」
「ど、どうしたの、赤月さん!?」
「日吉さんが……」
「モエりん、いじめられたの?」
半泣きになって部屋に飛び込んできた巴に、鳥取や吉川が色めき立つ。
那美が事情を聞くと、息を切らせながら言う。
「いじめられたっていうか……部屋まで送ってもらった……」
「は? 何でそれでこうなるのよ」
「延々……怪談話付きで……」
「……バッカバカしい!」
呆れたように言う吉川を後目に、鳥取が同情するように言った。
「気に入られたんだね、赤月さん……」
|