合宿中、朝食前の時間は各自の裁量に任されている。
当然ギリギリまで惰眠をむさぼる者もいれば、まだ夜も明けきらぬうちから外に飛び出していく者もいる。
木手は、というともちろん後者の側である。
一通りの基礎訓練を終え、ラケットを手に取る。
木手と同じタイプの人間はそれほど少数派ではないらしく、視界に映るコートにはまばらに人が散っているので人の少ない敷地内でも特に端に位置するコートへ向かう。
潮の香りが鼻をくすぐる。
内地の海は沖縄の海とは随分違うけれど、潮の香りだけは同じだ。
誰も人がいない事を期待して向かった場所だったが先客がいたのは計算外だったし、それがよりにもよって彼女だったのは大誤算だった。
「あ、木手さんおはようございまーす!」
こちらに気が付き大きく手を振る。
見間違いようもない。青学の赤月だ。
即座に回れ右したい衝動にかられたが諦めて木手はコートに向かう。
既に見つかってしまっている以上、背を向けても意味がないことは明白だ。
代わりにあからさまな渋面を作るが巴は意にも介さない。
「木手さんもひとりですか? まだ早いですもんね」
「俺はともかくとして君がこの時間に自主練習をしているのは意外ですがね」
「そうですか? 朝は結構強いんですよ」
嫌味も通用しない。
「良かったら一緒に練習しませんか? その方が効率がいいと思いますし」
「君とですか?」
「はい!」
即答。
散歩に連れて言ってもらう前の犬のように木手の前に立っている。
「……分かりませんね」
「一人より二人のほうが練習の幅が広がると思いますけど」
「そうではなく」
首をかしげる巴に苛立ちを押し殺して言う。
「試合中に卑怯な手を使うような男と一緒に練習しようと思う君の神経が理解できないんですよ」
全国大会でスポーツマンシップから外れた行動をとっていた自覚はある。
しかも、それは彼女の学校に対してだ。
敵意をもたれこそすれ、なつかれる覚えは無い。
が、その言葉を聞いた巴はニヤリと笑った。
「私、第一印象だけで判断しないんです」
「は?」
「最初会った時に嫌な感じでも、付き合ってみたらいい人、な人をたくさん知ってますから」
取り付く島がない。
木手はわざとらしく深い溜息をつく。
「君みたいにバカ正直でまっすぐな人間は苦手ですね」
「まっすぐなのは、木手さんでしょ?」
予想外の言葉に意表を付かれた木手に、巴が笑顔を返す。
「卑怯な事をしたからそのまま真っすぐ嫌ってもらえるなんて考えるのは、木手さんもバカ正直だからじゃないんですか?」
本当に。
ほんっとうにこの女は勘に触る。
「……もう結構です」
「はい?」
「君と問答をする為にこんな端のコートにまで来たわけじゃないですからね。練習、するんでしょう?」
「一緒に?」
「嫌なら結構ですが」
「嫌じゃないです! もちろん!」
今日だけだ、今日だけ。
やたらと嬉しそうな巴を見ながら、木手は自分にそう言い聞かせた。
朝食前、巴と連れ立って宿舎に帰ってきた木手の姿を見た甲斐が比嘉のメンバーにそれを言いふらしたが、中々信用してもらえなかったのは言うまでも無い。
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