よく熱したフライパンにバターを入れ、全体になじませたところで卵液を流し入れる。
途端、食欲をそそる音がして卵の色がオレンジから鮮やかな黄色に変わる。
手早くかき混ぜて、フライパンの片側に寄せ、一つ深呼吸する。
ここまではいいのだ。
問題はここからだ。
慌てないように、慎重に。けれどしっかりと。
柄を軽く叩きながらゆっくりとフライパンの中身を反転させていく。
やがて、きれいなラグビーボール型に整ったそれを、滑らせるようにして皿に移す。
「よし……っ!」
完璧だ。
会心の声をもらした巴だったが、
「ほぉ、中々見事な手並みですね」
突如掛けられた声に驚いて危うく皿を取り落としそうになった。
危ない。
せっかくの成功作を床に落としてしまうところだった。
「い、いつから見てたんですか木手さん!
急に声をかけられたら驚くじゃないですか。包丁持ってたらどうするんですか!」
立て続けの巴の抗議に、木手は少し眉をひそめて中指で眼鏡のブリッジをくい、と押し上げる。
「声を上げずにずっと黙ってその場にいたら、そっちの方が余程驚くと思いますけどね。
ちなみに、別に君に用があった訳ではなくただ通りがかっただけなのでここに来たのは今さっき。君が包丁を持っていた場合、俺は近づきませんよ」
嫌味にひとつひとつ巴の発言に答えていく。
「他にまだ何か?」
「……お褒めいただきありがとうございます」
この巴の発言は予想外だったらしく、寸の間驚いたような表情を見せた。
「別に、見たままを述べただけですよ。もっとも、先程言ったようにずっと見ていた訳でもないので端的な評価ですがね」
「それでも、練習中なんで褒めてもらうと嬉しいし、励みになりますよ」
そう言って巴が笑うと、妙なものでも見るような顔を木手がみせる。
「何か、おかしなこといいました?私」
「言ってることというよりは君自身が……いや、どうでもいい話だ」
軽く首を振って話題を打ち切った。
聞いている巴としては聞き捨てならない要素がかいまみえたのだが。
「にしても、こんなところに来てまで料理の特訓ですか。
酔狂なことですね」
「1日テニス三昧だからこその気分転換です。
比嘉の人たちの琉球空手と同じようなものですよ」
木手たちにとっての琉球空手は既にテニスと切り離せない密接な関係のものなので同じ、と言われても納得致しかねるが木手としても巴の何を知っているわけでもないので下手に反論することは止めておくことにした。
もしかしたら何か重要な意味を持つのかもしれないし。
……万が一にもないとは思うが。
そう考えながら湯気のたつオムレツに視線を移した木手は何かを思い出して嫌な顔をする。
「どうかしましたか?」
「そういえば、君の在籍している青学の乾くん。
彼のが栄養ドリンクと称してわざわざ用意してくるあの物体はどうにかならないんですか」
木手の言葉に巴の表情が凍りつく。
それは、青学テニス部員にとって触れてはならない領域だ。
乾が部を引退して青学のメンバーはこれであの乾汁の犠牲にならなくてすむと各々胸をなでおろしたものだったが、この選抜合宿で、被害は確実に飛び火している。
「アレは……どうにか、なりませんかね……」
「訊いているのはこちらですよ」
「で、でも、これだけは信じてください!
一番乾汁の被害に遭っているのは私たち青学なんです!」
必死すぎる。
この言動だけで日ごろの苦労がたやすく想像できる。
と、木手が何か言おうと口を開く前に、けたたましい声と音が調理場に近づいてきた。
「腹へったーっ!
なんやええ匂いすんねんけど、食いもんあるんか?」
そんな台詞と同時に姿を現す小柄な選手。
「……まあ、どこの学校にも御しづらい選手というのはいるものですからね」
「そうですね」
「何を他人事のような顔をしているんですか。君もその一人ですよ」
「えー?」
「なあ、なんの話しとるん?」
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