『すごいですね! 本当にこんな色なんですねー』
「あなたどこの田舎者ですか。今時テレビでもなんでも沖縄の映像ぐらいみられるでしょう」
携帯の向こうではしゃいだ声をあげる巴に、木手は呆れたように言う。
『そりゃ私だって沖縄の海の写真とかは見たことありますよ。
けど、知らない人が撮った知らない場所の写真じゃ現実感ないじゃないですか』
「俺がさっき送った画像も貴方の知らない場所だと思いますが」
『わかってないですねえ木手さん』
したり顔が目に浮かぶような言い方。
何の話かというと、巴に頼まれて木手が送った画像である。
通学路の途中で携帯で撮った海の画像。
別に木手は自分が人よりも美的センスが優れているとは思わない。
なので本当にそれは変哲もないただの風景にすぎない。
美しさならば観光用のパンフレットに載っている写真の方が数倍きれいだろう。
しかし、それは違うと巴は言う。
『この景色は木手さんたちが毎日見てる景色なんだなー、と思いながら見るのはやっぱり違いますよ』
「自分が生で見ていないというのは同じでしょう」
『受け取り方が違うんです! あー、いいなぁ、毎日こんなきれいな海を見てるんですね木手さんは。私も生で見たいなぁ』
聞けば巴は海自体初めて見たのが中学に入ってからなのだという。
なので格別『海』というものへの憧憬が強いのだろう。
木手にとってはただの見慣れた風景なのだが。
「なら、こちらに来ますか?」
『え?』
携帯の向こうに沈黙が走る。
言われた言葉が一瞬理解できなかったらしい。
『そ……そんなの、できるわけないじゃないですか』
「それはそうでしょう。旅費もばかになりませんし、そもそも部活は、学校はどうするつもりです」
思い立って、では、と移動できるほど沖縄と東京は近くない。
『ですよねえ。って、木手さんが言い出したんじゃないですか!』
「貴方が益体もないことを羨ましがるからです。まさか本気にしたわけじゃないでしょう」
何やらぶつぶつと言っている言葉にならないなにかが漏れ聞こえてくる。
言い返したいが言うべき言葉が見つからないらしい。
「さあ、長話もそろそろにしますよ。夜更かしをすると明日に差支えます」
『……いつも思うんですけど木手さん、たまにお母さんみたいなこと言いますよね』
「喧嘩を売っているのなら受けて立ちますが」
『いえいえ! じゃあおやすみなさい!』
物言わぬようになった携帯をいささか乱暴に机の上に放り投げて木手は思わず知らず舌打ちをする。
別にいきなり電話を切られたからではない。むしろ切るように仕向けたのはこちらだ。
沖縄と東京は遠すぎる。
旅費もかかるし、義務教育中の人間がほいほいと動けるわけもない。部活もある。
できるわけがない。
それがわかっててどうして自分はあんなバカなことを言ったのか。
自分にとっては日常に埋没している風景を見てみたいと言ってくれて、きれいだと言ってくれて。
思わず自分も見せたいと思ってしまったのだ。
携帯の画像には写せない日差しの強さや、乱反射する波の光。頬に当たる風、潮の香り。その全部を伝えたいと。
ダメだ。
信じてはいけない。
”今”はそう長くは続かない。
彼女と知り合ってから何度も繰り返した自戒の言葉。
今にきっと、ごく自然にメールも電話も無くなっていく。
彼女の日常に木手は入り込むことができないし、木手の日常に彼女は存在できない。
この距離をたやすく越えられるほど強い思いも決意も、きっとない。
わかりきっていることなのに。
不毛極まりないと思いつつ、毎回必ず電話に出て、メールの返信をする。
時間を気にしながら、許されるであろう限界ぎりぎりまで長電話に付き合ったりもする。
そしてその度自分自身に言い聞かせるのだ。
”今”はそう長くは続かない。
と、視界の隅に映っていた携帯がメールの着信を示す音楽を鳴らす。
緩慢な動作でそれを手に取り画面を開く。
送信者は巴だった。
『今すぐには無理だけど、いつか写メを取った場所に連れて行ってくださいね! その日の為に貯金頑張ります』
それでは今度こそおやすみなさい、と締めくくられたメールに毒気を抜かれる。
「……いつの事ですか」
呆れたように思わずひとりごちる。
”今”はそう長くは続かない。
わかっている。
だけどひょっとしたらいつか。
木手は携帯を閉じると、先ほどに比べて随分と優しく机の上に置いた。
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