大人っぽい声が好き。 少し照れたように笑うその表情が好き。 広い背中の見える後姿が好き。 大きな掌が好き。
好きなところなんて、数え上げたらキリがない。 だから、同じだけ好きになってもらえるなんて思えない。
「橘さんってナチュラルにこういうことしますよね……」
頬を染めながら巴が言う。 はじめ、巴が何を言っているのかわからなかった橘だが、しばらくして今繋いでいるこの手だということに気がついた。
「ああ、嫌だったか?」 「イヤじゃないです!」
手を放そうとしたが、即座に返された巴の言葉に、また改めて手を握り直す。
待ち合わせ場所だった駅の周囲に人が多かったので何も考えずに自然に彼女の手を取っていたのだが、こうやって意識してしまうと気恥ずかしい。 今までだって何度かやっていることなのに。
もっとも、それは当然不快ではない。
結局手を繋いだまま、駅から歩いてしばらく。 潮の香りがする。 秋も半ばとなったこの時期の海に人気はない。 先程の駅前の喧騒が嘘のようだ。
海に行きたい、そう言ったのは巴だった。 中学に入るまで海を見たことがなかったという彼女にとって未だ海は特別なものらしい。 そういえばJr選抜の合宿の時も宿舎が海の傍だと大喜びしていた。
と、はしゃいでいた巴が急にひとつ、ため息をついた。
「どうかしたのか?」
目ざとくそれに気づいた橘が尋ねると、なぜか少し恨めしそうな目で橘を見上げる。
「橘さん、他の人にもこういうこと、します?」 「は?」
手をつなぐ事だろうか。
あまりにも意外というか考えもしなかったことを言われて橘が返答につまる。
「だって、橘さん去年の七夕の時だって普通に手、繋いでたじゃないですか。 だから、他の人にもそうなのかな、だったら意識しちゃってる私がバカみたいだな、って」
意識してしまっているのは自分だけで橘にはごく普通の行為なのかもしれない、そんなことを巴は思ってしまったのだ。 自分は手を繋がれると、頭が真っ白になるくらいに緊張するのに。
手のことだけではない。
橘と付き合うようになってから今まではなんとも思わなかったようなことが気になる。 並んで歩くだけでドキドキするし、ちょっとの髪のハネが気になってしょうがなかったり。
「橘さんは、私の半分でも私の事を、……意識してくれていますか?」
そんなことを言われるとは夢にも思わなかった。 彼女は、知らないから。
付き合う前から普通にしていたんじゃない。 ずっと前から同じ想いだから今も変わらないだけだ。 意識せずにやっていることも、相手が特別なたった一人の、巴だからだ。 とんでもない誤解をしている彼女がおかしくて少し笑うと、巴がスネたような顔をする。
ずっと、その不安を抱いてきたのは自分なのに。
自分が想うほど、お前は俺を異性として意識してくれているのだろうか? と。
「巴」 「……なんですか」
橘が笑った事をバカにされたと思ったのか、少しむくれた声で巴が応える。
「俺が意識しているのは巴だけだぞ。 手をつなぎたいと思うのも巴だけだし、 抱きしめたいと思うのも、キスしたいと思うのも、巴だけだ」 「………!」
今、とても恥かしい事を橘が言ったような。 いや、自分が言わせたんだろうか。 どちらにせよ顔から火が吹き出るのではないかというくらいに赤くなっていくのが判る。
「あー、まあ、なんだ。その……いいか?」
自分で言った言葉に照れたのか、また巴に影響されたのか、やはり少し赤くなった橘が巴の顔を覗き込むようにして尋ねる。
「……橘さん、その質問は、ズルイです……」
返答の替わりにそんな事を言う巴に、橘がゆっくり顔を近づける。 思わず、巴は瞼を閉じる。 キスするときに目を閉じるのはきっとこんなに近くに好きな人の顔が見えることが恥かしすぎるからだ。目を開けたままじゃとても耐え切れない。 そんなことを思いながら。
唇が触れる。
細かい事は何も考えられなくなる。 頬に触れる手。 存外柔らかい唇。 全ての感覚がその二点に集中してしまっているかのように。
好きなところなんて数えあげたらキリがないのに、 会うたび『好き』が増えていく。
意識しすぎて、結局隠したい嫌な自分やバカな自分も曝け出す。
今でも許容量限界なのに、これ以上好きになっちゃったらどうなるんだろう。
でも今はいいや。 シアワセだから。
触れている手が、唇が、とても暖かいから。
ファーストキスは、海の香りだった。
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