放課後。 校内を歩いていた伊武の視界が突然ふさがれた。
「だーれだ!」
と、同時に聞こえる声。 とても聞き覚えのある声。
「……なんでキミがうちの校内にいるわけ? 巴」
静かに返した伊武の言葉に、ちぇー、なんてことを言いながら手を放したのは、やはり今ここにいるはずがない人間―――巴だった。
「バレるにしてももうちょっと驚いてくれてもいいのに」
拗ねたような顔でそんな事を言う。
驚いたよ。ものすごく。
ありえないと思って耳を疑ったけれど彼女の声を聞き間違える訳がない。 誰の声を間違えても彼女の声だけは判別できる自信がある。 だからこそ、驚いた。 平日に巴に会える筈もないのだから。 ……そんな人の気も知らないで。
「……なに。そんなに驚いてないように見えるんだ。 俺が心臓弱かったら今頃倒れてるって。 もしそうなったらどう責任取ってくれるのかな……とらないだろうな……」 「そんな涼しい顔でそういうことをボヤかれても説得力ないですよ」
時にこの無表情はこういう弊害を生む。
あーそうだよね、所詮表面上がすべてだよね、とボヤき続ける伊武を巴は軽くスルーする。 いつもの事である。
「伊武さん伊武さん」 「……なに」 「訊いてくれないんですか?」 「今日の部活はサボったの?」
なんとなく彼女の言いたいことを察した伊武だったが、敢えて微妙にずれた質問をする。 案の定、巴が頬を膨らませて抗議する。
「サボってませんよ! 今日は偶々部活はお休みだったんです」
まあそんなところだろう。 日常全てがテニスを中心に回っているとしか思えない彼女がわざわざ部活を休んでまで不動峰に潜入する理由はないと言っていい。 しばらくの沈黙の後、伊武が口を開く。
「……で?」 「え、『で?』って何がですか?」
巴が小首をかしげる。
「キミが訊けって言うから訊いてあげたんだけど。 訊いて欲しいんでしょ、ここに来た理由」 「初めっからわかってたんじゃないですか……だったらどうしていつもこう……」
ぶつぶつと文句を言いながら、巴が傍らの鞄を手に取る。 そして取り出したものを笑顔で差し出した。
「はい、伊武さん! バレンタインのチョコレートです!」
綺麗にラッピングされた小さな包み。 彼女の言うとおり、中身はチョコレートなのだろう。
「……今日はこうやってチョコレート持って各学校回るわけ? マメだね」
いくら部活が休みだとはいえ、日が暮れてしまうのは必至だろう。 あながちイヤミでもなく口にしたのだが、どうやら違ったらしく随分巴の御不興を買うハメになった。
「違いますよ! もう、なんなんですか今日の伊武さんはいつもにも増して!」
……いつもにも増して? どういう意味だよ。 っていうか俺の調子がおかしいとしたらそりゃ当然、突然現れたキミに動転してるからだとしか思えないんだけど。
色々引っ掛かりを覚えている伊武には当然気付く様子はない。 憤慨した様子でまくしたてる。
「いくら私だって、義理チョコ配るために他校を巡ったりなんかしませんよ! 伊武さんに! チョコを渡すために! わざわざここに来たんじゃないですか!」 「え」
投げつけるように渡されたチョコレート。 なに、今日はドッキリの日か何か?
「……これって、俺一人にってこと?」 「そうですよ」 「そういう意味だって判断していいわけ? 人に期待させといて違います、とか言い出しかねないからなぁ、キミの場合……」 「そ、そういう意味ですよ!」
しれっとした顔でそんな事をいう伊武に、巴が赤い顔で反論する。
「じゃあ、モノなんかじゃなくて、言葉をくれない?」 「へ?」 「だから言葉で聴きたい。キミの口から。 好きな子から気持ちを伝えてもらうんならその方がいい。……どうしても嫌なら、いいけど」
何気ない口調で、いつもどおりのポーカーフェイスで。 あっさりと伊武は本音を吐いた。
「〜〜〜〜っ!」
不意打ちを衝いたつもりだったのに、いつの間に、立場が逆転してしまってるんだろう。 いつもひねくれた物言いをするくせに、たまにこんな風に急にストレートな物言いをするから予測しない言葉に動揺する。
これだから、この人には敵わない。
|