「はい、巴さん、手を上げてくださいね。はい半回転」
「な、菜々子さん、おばさん……ちょっとキツくないですか……」
凛子と菜々子に言われるがままに動きながら巴がうめき声を上げる。
着物を着る、という行為はもう少し優雅なものなのだと思っていたけれど今現在の巴の様子は両足を踏ん張って倒れないようにしつつ二人の指示に従うのがやっとで優雅とは程遠い。
それでも帯を締め、帯揚げ帯締めを付けるとなんとか体裁は整った。
不思議と着せてもらっていた時ほどは苦しくない。
髪を整えてもらうともうおしとやか然となる。
「巴さん背が高いから丈がちょっと心配だったけど大丈夫でしたね」
「お二人ともありがとうございました! いってきまーす」
なんともお正月らしい格好で巴は意気揚々と越前家を後にした。
折角お正月だし。
菜々子が昔着ていた着物を貸してくれたので着せてもらったのだけど、着物を着たのなんて七五三以来だ。
当然その頃の事なんてほとんど記憶にない。
だから着物を着るのにこんなにタオルを巻いたり下準備が必要だなんて知らなかったし、こんなに歩きにくいのも覚えてない。
普段カジュアルな格好なことの多い巴は自然歩幅も大きい。
しかし着物を着ているといつもの歩調では歩けない。
何度かつんのめりそうになりながら待ち合わせ場所へ急ぐ。
「お待たせしました!」
大きく手を上げると当然のように先に到着していた伊武がちらりとこちらを見る。
小走りに近寄ると微かに眉を顰められた。
「……折角めかしこんでるんだったらそれに合わせたら?」
「え? 何がですか?」
「あー、まあそうだよね、山猿だからそんな事言うだけ無駄だったよね……。まあいいや。それじゃ、行くよ」
「ちょっと、なんかブツブツ言われてるの気になるんですけど」
「行くよ」
二度繰り返されて渋々神社の方へ歩き出す。
そしてすぐに気が付いた。
伊武の歩調がいつもと違う。
なんだか少しゆっくりだ。
そしてその理由もすぐ察しがついた。
歩きやすい。
一人で歩いていた時はついいつもの歩幅で足を出そうとしてしまいつんのめっていたが、今の伊武の歩調に合わせるとスムーズに歩ける。
そういう気遣いを伊武が出来るなんて意外だ。
「……何」
そんな事を考えていたからか知らず知らずのうちに伊武の顔を凝視していた。
怪訝な顔で訊ねられたので慌ててごまかす。
「あ、いえ! 結構人が多いからはぐれたら大変だなーって思ってただけで」
「元旦だからね。心配なら手でも掴んどく?」
すい、と何気ない仕草で手が差し出される。
今度は巴が怪訝な顔になる。
「……今度はなんだよ」
「いやいやいや、伊武さんこそ今日はどうしたんですか」
「だから何が」
「優しすぎません? 歩調緩めてくれたり、手繋ごうとしてくれたり」
あまりにストレートに疑問をぶつけたせいか、伊武の眉が不機嫌に寄せられる。
「どういう意味だよそれ。まるで俺が普段優しくない人間みたいじゃないか。ホント失礼しちゃうよなぁ……。別に嫌なら無理にとは言わないけど」
「嫌じゃないです! 嬉しいです! ただ今日に限ってサービスいいなぁって思っただけで!」
ひっこめられそうになった手を慌てて掴む。
両手で伊武の手を掴んでからいくらなんでもがっつきすぎだと恥ずかしくなって手を放してしまったが伊武は軽くため息をついただけで巴の手を繋ぎなおしてくれた。
「別に普通じゃないの。特別サービスしてるとか思わないけど。そもそもそれを言うならキミの方だろ」
「へ?」
自分が何か伊武にしただろうか。
首をかしげる巴に伊武は顎をしゃくって彼女の服装を指し示す。
「着物。
正月早々わざわざ晴れ着で来てくれてるのはサービスに当たらないの」
「あ」
思い至らなかった、というよりは伊武がそれを『サービス』と認識してくれているとは思わなかった。
折角だから普段と違う格好を見てもらいたいな、とは思っていたけれど。
「……『動きにくそうな格好で来たなぁ』とか思われてるのかと」
「前々から思ってたけどキミの中の俺ってどんだけ嫌な奴なんだよ」
「あはは、スイマセン」
「別にいいけど。もう慣れたし」
茅の輪をくぐる。
歩幅が狭い分、去年より少し到達するのに時間がかかっているはずだけれど、あっという間だ。
お賽銭を投げ、願い事をする。
「あ、おみくじ買いましょうおみくじ!」
「確か去年も買ってたよねキミ。好きだね」
「好きですよー。初詣に行ったら買わなくちゃですよ!」
おみくじ販売所に向かおうとして大事なことをまだ言っていなかったことに気が付いて振り返る。
「伊武さん、今年もよろしくお願いしますね!」
「仕方がないから今年もキミの暴走に付き合ってあげるよ」
「暴走なんてしませんよ!」
「どうだか」
本当は今年だけでなく来年も再来年も、と言いたかったけれどやめておいた。
『初詣の願い事は口にすると叶わない』という俗説を思い出したので。
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