梅雨時は出来れば外出は控えたい。
けれどどうしても外に出ざるを得ない事も多々ある。
この日もそんな用事のひとつにより伊武は商店街の雑踏の中を歩いていた。
さきほどまではくもり空だった空は限界点を越えたかのようにぽつりぽつりと雨粒をこぼす。
薄暗く分厚い雲からこの展開は予想できていたので手に持っていた傘を広げた。
晴れている日ならどうという事もない程度の人の数も、傘をさしているだけでずいぶんと狭苦しい。
湿気も相まって随分と蒸す。
さっさと帰ろう。
そう思いつつ早足で帰路についていたその時だった。
「あ、伊武さん! 不動峰の伊武さんですよね! いーぶーさーん!」
大きな声。
声が飛んできた方向を見ると見覚えのあるロングヘアの少女の姿。
本屋の軒先からこちらに向かって大きく手を振っている。
面倒なのに見つかった。
無視しようかとも思ったが観念して巴の方へ向かう。
「……大声で人の個人情報連呼するのやめてくれない」
「あ、すいません。気付いてもらえないかなーって思って」
悪びれない様子で言う。
多分伊武が巴の方を向くまで叫び続けたんじゃないだろうか。
おかげでこちらも気付かないふりが出来なかった。
「で、何」
面倒臭さをありありと表情に出しながら伊武が尋ねる。
まさか巴もそれに気が付いていないことはないだろうが。
「傘忘れちゃったんで、バス停まで入れてもらえませんか?」
「え、やだ」
「そこをなんとか!」
即答で拒否した伊武に両手を合わせて懇願する。
しばらくの沈黙の後、伊武は深い深いため息をわざとらしくついた。
「これで断って帰ったりしたら俺が悪者みたいじゃないか。ホント嫌になるよなあ……。わかったよ。そっちのバス停まででいいの?」
「ありがとうございます! 伊武さん優しい! 格好いい!」
「わー、見え透いたお世辞ありがとう」
無感動に答えつつもやや巴に向けて傘を傾けると、嬉しげに巴が入ってくる。
「バス停ってどっちだっけ」
「えーっと、多分あっちの方だと思います」
「なんで知らないんだよ……乗ってきたんじゃないの?」
不審な目を向ける伊武に対する巴の答えはこうだった。
「ここまでは歩いてきましたから。そんなに遠くないんで」
「ふーん……どのくらい?」
「歩いて十五分くらいですかね」
「家はどっちの方?」
「こっちです」
ふーん、と言いながら歩いていく。
しかしバス停(があると思わしき)方向とは違う方向へ進んでいる。
巴が慌てたように伊武の方を見た。
「あの、バス停こっちの方だと思うんですけど」
「さっき聞いたよ。けどキミの家はこっちなんだろ」
「そうですけど、まさか家まで送っていってくれるんですか? そこまで迷惑かけられませんよ!」
「バス停の目の前が家ってわけでもないんでしょ。迷惑って言うなら声かけられた時点で充分迷惑だよ。もしこれで風邪ひいたりなんかしたら俺のせいだって言われるじゃないか……」
言いながらすたすたと歩いていくので巴も仕方なしに歩調を合わせて歩く。
女子だからとかそういう気遣いは一切感じさせないスピード、歩き方だが大きく身長が違うわけでもないので然程不便は感じない。
と、いうより巴としてはこれ以上気を使われると申し訳ないのでそれくらいが丁度いい。
「大体さあ、こんないかにも雨が降りそうな日に傘も持たずに出かけるってちょっと見極めが甘すぎるんじゃない?」
「あはは、出かける前は傘いるなー、って思ってたんですけどついうっかり」
「……一応青学のレギュラーなんでしょ。自覚しなよ」
「その点に関してはきっちりバッチリ反省してます!」
「どうだか……」
足元を雨水が跳ねる。
持っていた傘は折り畳みではなかったのでまだましではあるが、それでも二人の人間を完全に雨から守れるかと言うとそうではなく、肩先にやや雨粒が当たる。
「そういえば怪我はもう大丈夫なんですか?」
「まだ治ってなかったらこんな風に外をうろついてたりしないよ。キミみたいな考えなしじゃないし」
「ならいいですけど。……伊武さんて本当に一言多いですよね。黙ってればそれなりなのに」
「別に君に格別好かれたいわけじゃないから。あとキミにだけはそれ言われたくない」
「それが余計だっていうんですよ」
つらつらと余計なことを話していると、不意に巴が前を指さした。
「あ、あそこです」
もう十五分も歩いていたのか。
家の前に到着すると、巴がぺこりと頭をさげる。
「今日は本当にありがとうございました!」
「これに懲りたらもうちょっと思慮深く生きなよ。ってまあ、無理か」
「む、無理じゃありませんよ!」
「いいから早く入んなよ。本当に風邪ひくよ」
伊武に促され、傘から巴が離れる。
玄関の扉を開く前にもう一度こちらに向かって頭を下げながら手を振った。
「関東大会に向けてお互い練習がんばりましょうね!」
「言われなくてもそのつもりだけど。……まあ、キミもせいぜい頑張んなよ」
「はい! それじゃ!」
扉が閉まるのを確認する前に踵を返す。
家からは真反対の方向だ。
とりあえず来た道を戻り商店街の方へと歩き出す。
行きよりも若干長く感じたのは、きっと気のせいだ。
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