二月も間もなく終わる。
もう少しくらい暖かくなっててもいいんじゃないだろうかと思い始めたころに、逆らうかのような大寒波がやってきた。
立春はとっくの昔に過ぎているのにどうなっていんだとカレンダーにぼやいてみても始まらない。
それでも寒さだけならまだいい。
テニスの練習で動きまわっているうちに身体もそれなりに温まる。
そう、テニスができる状態ならば。
「真っ白ですねえ」
「……そうだね」
感嘆の声をあげる巴に、伊武は抑揚のない声で相槌を打つ。
二人の視線の先にあるのは、いつも二人が休日に練習をしている河川敷のコートだ。
……否。河川敷のコートがあるはずの場所だ。
昨晩から今朝にかけての降雪でそこは雪に埋まっていた。
「こっちに来てからこんなに雪が積もってるの、私初めて見ました!」
「ああそう良かったね。ところでキミは今日どうしてここに来たのかわかってるのかな……この状況でなんで嬉しそうなんだよ……」
嬉しそうに言う巴と、テンション低くぼやく伊武。
積雪だけならともかくこの寒さであちこち凍結している状態だ。
とてもじゃないけどテニスは出来そうもない。
こんな時氷帝とかの金持ち学校の選手は屋内コートとかを使うんだろうなあと想像して伊武はさらに不機嫌になる。
「ちょっとテニスは出来そうもないですね」
「キミにもさすがにそこは理解できたみたいだね」
「じゃあ、雪合戦しましょうか!」
「……なんでそうなるんだよ」
ここにはテニスをしに来たわけであって、断じて雪遊びをしに来たわけではない。
……まあ、今朝家を出る前の段階で既にこのコートの状態は予測できてはいたのだけど。
明日は不動峰のコートも泥だらけかもしれない。
参るよなぁ。
そんなことを考えていた伊武が、先ほどまで横にいた巴が少し離れた場所にいることに気が付いたのは、彼の後頭部に雪玉がぶつけられてからのことだった。
軽い衝撃。
手で払うとぱらぱらと雪が地面に落ちる。
雪玉が飛んできた方向にはいたずらっ子のように笑う巴。
「ぼんやりしてるからですよー」
「…………」
無言でしゃがみこみ、足元の雪を集める。
泥がつかないように表面上の雪だけを。
「キミの提案に乗るなんて俺は一言も言ってないんだけどな……」
「あ、あの、伊武さん? 雪玉にしてはやけにデカくないですか?」
「……大体、いきなり人に雪ぶつけるとかどういう神経してるんだよ……首筋から雪が入って風邪でも引いたら責任とってくれるのかな……」
「妙にカチカチに雪玉固めるのどうかと……ごめんなさい! 私が悪かったです!」
巴の言葉には耳を貸さず、ボソボソとボヤきながら伊武はひたすら周辺の雪をかき集めて大きな丸い球を作っている。
手にしている球の大きさは既にボーリングの球くらいのサイズだ。
ぺたぺたと叩いて固めたそれを持った伊武が巴の方に向いた。
ぶつけられる、と身構えた巴を意にも介さず雪玉を彼女の足元に置く。
「…………?」
「言ってるだろ、キミの提案に乗るなんて俺は一言も言ってないって」
そう言うと、先ほどより一回り小さい雪玉を作って上に乗せる。
小ぶりの雪だるまだ。
「あ、なら顔と手も付けましょうよ! 私見繕ってきます!」
さっきのビビリっぷりはなんだったのかという変わり身の早さで適当な木の枝や石などを持ってきて顔と腕を雪だるまに付ける。
仕上がりに満足がいったのかずいぶん嬉しそうだ。
「キミさあ、山から来たんでしょ。雪なんて珍しくないんじゃないの?」
「家ではそうですけど、こっちでの雪は珍しいですから」
「ふーん」
自分から訊いておいて興味なさげな返事をする。
とりあえずここで延々雪遊びをするつもりはないので巴を促して立ち上がった。
歩き出すと、巴が横で伊武に呼びかける。
「伊武さん伊武さん」
「なに」
「もうすぐですね」
「……何が」
「合宿ですよ!」
合宿とはJr.選抜メンバーの強化合宿のことだ。
こぶしを握り締めていう巴のその姿は遠足前の幼稚園児と大差ない。
随分と機嫌がいいのはそのせいかと思ったけれど、多分雪でテンションが高いのも間違いではないんだろう。
「私もう楽しみで楽しみで!」
「遊びに行くんじゃないんだけどね」
「わかってますよ! 全国の色んな選手と一緒に練習できるなんて、わくわくするじゃないですか」
わくわくねえ。
そんな事より伊武としてはもっと気がかりなことがあるのだけど。
「キミさあ、Jr.選抜の合宿が何のためにあるのかわかってる?」
「選抜大会の為でしょう?」
「学校単位でやるわけじゃないってこともわかってる?」
「もちろんわかってますよ。ギリギリ選抜メンバーに入れてもらえたんですから」
「ふーん。じゃあ……」
「なんですか?」
選抜大会に、誰と出るかとかそういうことは考えてるの?
「別に」
喉元まで出かかった言葉を伊武は無理に飲み込んだ。
それを訊いてどうしようというのか。
決まっていなかったら自分と、とでも言うつもりだったのか。
まさか。
「別にってなんですかー」
「なんでもない。あー、雪遊びなんかしたから手がかじかんじゃったじゃないか」
「えー、いいじゃないですか、楽しかったから」
「キミは楽しかっただろうね。そりゃもう」
「根に持ってます……? ごめんなさいって! コーヒーおごるから許してくださいよー」
寒さが和らぐ気配は一向に見えないけれど、三月はもう目の前だ。
|