あ、あんなところに。
あそこにも。
車窓から見える景色の中にちらほらと自己主張するその姿が見える。周りから浮き出るような淡い花の色。
春になると、いつもこんなところに桜の樹があったのだと気が付く。
毎年同じように思い、また毎年春が過ぎると同じように忘れてしまう。
そして再び春が来ると思うのだ。こんなところに桜の樹があったんだ、と。
ぼんやりと外を眺めているうちに電車は目的の駅に到着した。
改札を抜け、目的の場所へ向かう。
約束の時間よりはまだだいぶ早いのでてっきり自分が先だと思っていたら、珍しく巴の姿が先にあった。
白い花びらが舞う。
そういえばここに生えている樹も桜だった。
その桜の花をぼんやりと巴は見つめていた。
見とれているとかそういった風情ではない。
「巴」
声をかけると、慌てたようにこちらを向く。
その表情はいつもの巴だ。
そしてその巴は伊武の姿を見て、軽く微笑んでこうのたまった。
「……伊武さん、桜が似合いますねえ」
花が似合うと言われても嬉しくない。
「何それ、生気がないとかあっというまに散るとかそういう意味?」
「そんなわけないじゃないですか。キレイっていうそれだけですよ。どうしてそう矢継ぎ早にネガティブな連想ばっかするんですか」
キレイだなんて言われてもやはり嬉しくない。
それは女子に対する誉め言葉だ。
本人には悪気はないらしいが。
「……俺の事はいいけど、どうかしたの?」
「はい?」
「なんだか花を見ながらぼーっとしてたみたいだけど。まあキミがうすぼんやりしてるのは今に始まったことじゃないけどね」
「さらっと今ものすごく失礼な事言いましたね」
伊武のセリフにとりあえずつっこんでから言う。
「岐阜から東京に来た時の気分を思い出してたんです。
ちょうどあの年は桜が遅くて、私が青春台に来た日はまだ桜が満開だったんですよね」
「そうだったっけ」
「覚えてないんですか?」
「そんなの覚えてるわけないじゃないか。
キミと違って別に特別な感慨があったわけじゃないんだし」
実際その頃伊武は暴力事件での公式試合出場停止が明けた直後で桜を愛でるどころではなかった。
そんな余計なことを言うつもりはないが。
言えば気にする。
とうに過ぎたことに対して気を使われるのは本意ではない。
幸い、巴はそこに気づく様子はない。
「そっか、そうすよね。
でも満開だったんですよ。
だからこうやって満開の桜を見ると、あの時の期待を不安を胸に抱えた気分とかを思い出すわけですよ」
再び思い出を反芻している様子の巴に、伊武が眉をひそめる。
「不安、キミが?」
「……いちいちひっかかりますね、伊武さん」
「期待ばっかり先行してたんじゃないの」
「そ、そりゃあ期待がほとんどではありましたけど、不安がないわけないじゃないですか!
親元を離れて、友達もいないしこれから一人でやっていかなきゃいけないんだ、って思ってましたし!」
実際には入学してすぐに友達も出来たし、居候先でもかわいがってもらえて東京での生活は随分とスムーズに始まったわけだが。
『マネージャーになる』という当初の目標が大幅にズレこんだ以外は。
「ふーん」
「自分で聞いておいて気のない返事ですね」
「だって、その頃を知らないからわからないし」
伊武が巴と知り合ったのはそれからひと月以上も後の話だ。
たとえ本当に不安まじりのスタートだったのかどうかは伊武には知りようもない。
「とことん疑ってますね……」
「別に。想像がつかないだけ」
「だって、あの時は伊武さんがいなかったですから」
知らないんだからわからない、そういう意味かと思ったけれどそうではなかった。
巴は伊武の顔を見上げるとにこりと笑った。
「伊武さんがいれば、私不安なんて感じませんから」
たとえその場に一人でも。
可愛らしく微笑んでそう言われても伊武としては「……ふーん」としか言いようがない。
そこで気の利いた言葉を贈れるようなキャラクターではない。
しかしそれでもかまわらないらしく巴は上機嫌で伊武の手を取った。
一歩、二歩歩き出したところで伊武がぽつりと口を開く。
「それじゃあ、これからもずっと桜の季節になるとキミが思い出すのは中1の春なのかな」
「さあ、それはわからないですけど。将来何があるかわからないですし」
「まあそうだろうけどね。……けど、インパクトで負けたら立つ瀬無いしな……」
小さな声で呟くと空いた方の手でジャケットのポケットを探る。
巴が首をかしげて伊武を見る。
「はい?」
「別に」
「何か言いませんでした?」
「さあ」
出がけに受け取ってきた小さな箱はポケットにしまい込んだまま。
小さな桜の花びらがひらひらと舞い降りる。
ふたり並んで歩くようになって数度目の、春。
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