思えば、発端からしていつもと違っていたのだ。
いつもの練習の帰り道。
通りすがりに見つけた映画のポスターから話題になった。
前評判も悪くない、少し気になっていた映画だ。
しかし、巴も同様に気になっているというのが意外だった。
伊武と巴の映画の趣味は合わない。致命的なまでに。
タダでも見に行かないと伊武なら断言できるような作品を好きだったりする巴が気にしているという事はタイトルの似た映画か、伊武が内容を履き違えていたのかとも思ったのだが聞いているそうでもない。
珍しい。
極矮小な、二人の好みが一致するラインにギリギリこの映画は乗っているらしい。
そんなこと、今回限りかも知れない。
次あるとも思えない。
そう思ったからだろう、自然に「今度一緒に観に行こうか」なんて言ってしまったのは。
珍しい、と巴に驚かれた時は少しムッとしたが、後から考えると確かに驚くのも納得である。
なんにせよ、そんなわけで一緒に映画を見に行くことになったのである。
当日。
やはり待ち合わせ場所に到着したのは自分の方が先のようだ。
もっとも、約束の時間にはまだ少し間がある。
何気なく周りを見渡した伊武の目が、ブティックのショーウィンドウを覗き込んでいる人影を捉えた。
先じゃない。
そこに居たのは巴だった。
伊武が一瞬わからなかったのもムリはない。
いつも時間ギリギリに来るという事実を除いてもウィンドウに映る自分の姿を気にしている巴は大分いつもと印象が違っている。
少し裾長めのワンピースを身にまとい、いつも下ろしっぱなしの髪まできれいにまとめている。
まるでこれじゃあ普通の女の子みたいじゃないか。
「今日は珍しく早いね」
なんとなく、不機嫌なような落ち着かないような気分を持て余しつつ声をかけると巴は伊武に全く気が付いていなかったようで、挙動不審なまでに驚かれる。
伊武はまったくもっていつもと変わらないのだが。
「あ、い、伊武さん! こんにちは! 伊武さんも早いですね!」
「俺はいつもこれくらいだよ。毎回遅刻ギリギリのキミと一緒にしないでくれる」
言いながら、もう一度改めて巴の姿に視線を走らせる。
巴の挙動不審の原因はこの格好か。
「……何、今日は家の人に遊ばれたの」
「はい?」
「キミ一人じゃ絶対やらないだろうし、そもそも出来ないだろうアタマしてるから」
あと、自分でやっといてそれだけ挙動不審にもならないだろうし。
たかだか自分と映画に行くくらいでそこまで気合入れる必要まったくないだろうし。
そこは口には出さなかった。
いつも全く身なりをかまわないと思われていると受け取ったのか、巴がやたらと不満そうだったが。
似合っているとかなんとか言ったらどういう反応をするのかな、と少し思ったけれどあまりに柄じゃないのでやめておく。
公開直後の映画を甘く見ていた。
見るつもりだった回は伊武たちが到着した時には残席少、の表示。
どこぞのブルジョアならともかく一介の中学生に映画のチケット代は安くない。
折角見るのならば少し待っても見やすい席がいい。
それは巴も同様だったようで次の回のそれなりに無難な席を確保する。
それほど待つわけではないけれど、映画館でじっとしているには長い。
当てもなくショッピングセンターを歩いていると、小さな雑貨屋に巴が目を留めた。
気になっているのは丸わかりなのだが、伊武を慮っているのか入ろうとはしない。
いかにも少女趣味な店なら無視するがそうではなく、別に女性のみをターゲットにしているという感じもない店だ。
「入りたければ入れば? どうせヒマなんだし。
ていうか、そんなあからさまに興味津々な素振り見せられて無視したら俺イヤなヤツじゃないか」
「いいんですか?」
驚いたように巴が伊武を見る。
「イヤならいいけど」
「入りたいです!」
伊武の言葉に慌てたように即答すると、いそいそと店の扉を開く。
少し光を落とした照明の下に並ぶのは、主にガラス工芸の小物が大半を占めている。
見るともなしに商品を眺めていたが、ふと気がつくと巴は一つのアクセサリーに心を奪われているようだった。
横から覗き込んでみる。
真鍮の鎖に小さな花の細工。
濃淡取り混ぜたピンク色の丸いガラス玉が大小散っている意匠のペンダント。
なんとなく伊武の予想外の品だった。
普段の巴だったらこういったものを身につけている姿なんて想像もつかなかったが、今日の巴を見るとこういったアクセサリーはとても彼女に似合う気がする。
女は化けるというのは本当だ。
鎖についた値札を確認した巴が傍目に分かるほど凍りつく。
そんなに高いのか、と思ったが見てみるとそれほどでもない。
思わず横から口を出す。
「その程度の値段だったら練習後の買い食い5、6回我慢すれば余裕で買えると思うけど」
夢中になるあまりに伊武が目に入っていなかったらしい巴が、らしくもなくびくりと身を竦ませるので、やっぱり今ここにいるのはいつもの巴じゃないんじゃないかなんてバカな事を伊武は思う。
「それができるなら、こんなに悩みませんよ。……いつもみたいな格好には、似合わないし」
前言撤回。
いつもの巴だ。
「あー、そうだよね、キミは。色気より食い気。……ちょっと貸してくれる、それ」
巴からペンダントを受け取ると伊武はおもむろにレジに歩を進めた。
背後から慌てたように巴が追いかける。
「え、ちょ、ちょっと伊武さん!?」
「俺はキミと違ってこの程度なら出せるし」
「いや、そういう問題じゃないですって!
誕生日でもなんでもないんですし、悪いですよ」
「心配しなくても当分の間練習後寄り道しても絶対おごらないから」
長期的には同じだ。
尤もしょっちゅうおごっているわけではないが。
「それに」
「はい?」
「確かにいつもの格好にはさほど似合わないと思うけど、今日みたいな格好なら似合うんじゃないの」
絶句した巴にかまわずペンダントをレジの店員に渡す。
今までのやり取りを見ていたのだろう、頼んでもいないのにプレゼント包装を施しながら伊武にこう言った。
「彼女さんですか? 仲がいいですね」
彼女。
当然三人称のそれではなく。
確かに一緒に映画を見に来てそのついでにアクセサリーを買ってあげるなんてまるで彼氏彼女の行動である。
実際にはまったくもってそんな事はないのに。
即座に巴が否定するだろうから、その前に伊武が口を開く。
「いえ、彼女じゃないです」
そこまではともかく、その後口が滑った。
いや、魔が差したというべきか。
「好きな子ではあるけど」
言った瞬間しまった、と思ったけれど一度出た言葉は取り消せない。
そちらを向かなくても横で巴が凍りついたのがはっきりわかった。
「あ、そうなんですか。それじゃがんばってくださいね」
気楽にそんな事をいう店員に代金を支払い、きれいにラッピングされたペンダントを巴に渡すと早々に店を出る。
後から慌てて巴が駆けて来る。
早足で歩く事数歩。
「あ、あの!」
「何」
巴の口から言葉が出ると同時くらいに返事をしてしまう。
動揺がまるわかりだ。格好悪い。
ぎこちない沈黙が走る。
巴が先ほど渡した包みを掲げるように伊武に見せる。
「えーっと、これ、ありがとうございました」
嬉しそうに笑う。
とりあえず余計な事を言ったから突っ返されたらどうしようかと思ったがその心配はなかったようだ。
しかし、その後に続いた言葉は予想外だった。
「で、ですね……彼女じゃないけど、これから彼女にしてもらうのは、ダメですか?」
「…………」
彼女じゃない。
自分が言った言葉だが、それに対するこの返しは意表を衝かれた。
「だ、ダメですか」
伊武の沈黙をどう受け取ったのか、巴が不安そうな顔をする。
ダメなわけない。
「……キミさあ、なんでさっきの今で『ダメ』とかいう答が来るとか思うわけ」
どう考えてもおかしいだろ。
わざとらしく溜息をついてみせると、巴が安心したような笑顔を見せた。
……本当に、今日は調子が狂いっぱなしだ。
巴と言うと多かれ少なかれいつもそうなのだけど。
「そろそろ映画館に戻った方がいい頃だよね」
そう言って左手を差し出した。
カノジョなんだったら手くらい繋ぐのもありじゃない? と。
何気ない仕草にみえていたらいいんだけど、と情けない事を思いながら。
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