今日は朝から雨だった。
当然、テニスなんか出来ようはずもなく。
不動峰テニス部は今現在も決して校内で歓迎されている存在ではない。
なので、ただでさえ雨の日は混み合う体育館に彼らの活動するスペースはない。
更にいえば体育館以外の場所でも安全面の問題という理由により柔軟以外のトレーニングは禁止されている。
結果、雨の日の部活は柔軟とミーティングで終了し、あとは自主練習という形になる。
雨は止みそうにない。
伊武はユニフォームの上から雨具をはおり、ランニングを開始した。
強くもなく、決して弱くもない雨が雨具越しに伊武の身体を叩く。
雨具同士がこすれあう衣擦れの音が気にかかる。
それほど高級品ではない雨具は、身体を濡らすことはないけれど通気性が悪いので蒸れる。
これだから雨の日はいやだ。
そんなことを思いながら土手を走っていると、やがて河川敷のコートが見えてくる。
休日に利用する無料のテニスコートだ。
いつもは人が多く、一面確保するのにも苦労する事が多いが、当然ながら雨の降っている今日は人気がない。
そう思っていたのだけれど。
「……なに、あれ」
誰もいないコートを占拠して延々サーブ練習を行っている人影が、ひとつ。
酔狂な人間はどこにでもいるものだけど、あの人物には見覚えがある。
最近、よく伊武の視界に入る他校生。
巴だ。
少し考えた末、河川敷に下りてみる。
近づいてみると、やはり巴だ。
いつからこの馬鹿げた行為を続けているのかは知らないが、髪なんかもうずぶぬれで背中に張り付いている。
「何やってるわけ? あ、一応言っとくけどテニスやってるとかいう見たまんまの返答を求めてるわけじゃないから。俺馬鹿じゃないし」
かけられた声に、振り返った巴が驚いたように目を見開く。
ぶしつけに人を指差して、声をあげた。
「へ? あ、あーっ!
えーっと……伊武さん!」
「……はい、おめでとう、正解」
明らかに名前をど忘れされているのが丸わかりな返答に、半眼でイヤミたっぷりの返事をする。
伝わったのか伝わってないのか、巴にまったく申し訳なさそうな様子は伺えないが。
「伊武さんはランニングの途中ですか?」
「そう。で、……キミは何しているわけ? こんな雨の中で」
伊武の言葉に、照れたように笑う。
こうして話している間にも雨は降っている。
自分は雨具を着込んでいるからいいけれど、巴は濡れねずみのままだ。
雨具のポケットに入れていた小さいタオルを何の足しにもならないだろうが巴に渡す。
お礼を言って巴はそれを頭に乗せる。
本当に気休めだけど。
「いや、雨が降っているじゃないですか」
「雨が降っているからここにいるのがおかしいんだろ」
「話の腰を折らないでくださいよ。
で、今日はうちの部活はミーティングだけで終了だったんですよ」
不動峰と同じか。
しかしそこからどうしてもこの行動につながるのか理解できないがまた話の腰を折るのもなんなので黙っている。
「物足りないから壁打ちやっていたんですけど、そういえば雨の日にボールを打ったらどんな感じなのかなー、っと思って」
「……で、雨の中ボール打ってたってわけ」
前から思っていたけどやっぱりおかしい、この女。
「やっぱり雨の中だと、ボールって打ちにくいですよね。
だから、この状態でどこまでコントロールをつけられるか挑戦していたんですけど、やっぱり難しいですねー」
そんなことを考えている伊武には気づかず、楽しそうに巴は続ける。
心底、楽しそうに。
雨だろうがなんだろうが、テニスをする事が楽しくてしょうがないのだろう。
確か、中学に入学してからテニスを始めたと聞いた。
ならば今は一番楽しい時期なのかもしれない。
「ふーん……でもとりあえず適当なところで止めた方がいいんじゃない。
風邪引くのもだけど肩冷やすのはよくないと思うし」
「あ、そうですよね。なんか夢中になっちゃってて。
伊武さんが声かけてくれなかったらずっと続けてたかもしれないです。
ありがとうございました。もう、帰りますね」
ぺこり、と頭を下げるとラケットを置いてネットの向こう側に散らばったボールを拾い集める。
それを見てた伊武は少し離れた場所に転がっているボールを手に取って、それを軽く巴に投げた。
ちょっと慌てつつも無事にそれを受け取った巴に、会釈をするとまた土手の上に戻る。
「伊武さん!」
声に振り向くと、巴が大きくこちらに手を振っている。
さっきと同じ、楽しくてしょうがないといった風の笑顔で。
「今度、また晴れている時に一緒にテニスしましょうね!」
返事はせず、軽く手だけを上げて応える。
そして、また再び走り出す。
バカだと思うし、おかしいとも思う。
真似したいなんて絶対に思わない。
けど。
きっと365日、どんな天気でも彼女に取っては楽しいテニス日和。
それを少し羨ましいと、そう思った。
……あ、タオル返してもらいそびれたな。
|