『今から出られない?』
唐突に伊武から電話がかかって来たのは午後8時、夕食も終え部屋でくつろいでいる最中だった。
「へ、今からですか?」
『ダメならいいけど』
「ダメな事はないですけど、どうしたんですか?」
『……イヤならいいよ』
一瞬の沈黙の後、受話器の向こうの声のトーンが若干下がる。
どうやら今の質問はお気に召さなかったらしい。このまま切られてはかなわないので慌てて巴は口を挟む。
「イヤだとも言ってないじゃないですか!
わかりました、行きます。どこですか?」
『無理しなくてもいいんだけど。
……すぐ近くまで来てるから、迎えに行く』
「じゃ、家の前で待ってますね」
電話を切ると慌てて上着を羽織る。
しかし一体なんの用なのか見当もつかない。
そもそも、伊武とはこの週末、クリスマスイブに会う約束をしているのだ。
その時では間に合わないような事なんだろうか?
近くまで来てる、と言った伊武の言葉に嘘はなく、それほど待つ事もなく伊武が姿を現した。
「こんばんは、伊武さん!」
「こんばんは。
ごめんね、こんな寒い晩に無理に連れ出したりして。……内心ムカついてるんだろうなあ……」
巴を促して歩きながら早々にそんな事をブツブツとボヤいている。
「別に怒ってませんよ。
ただ、どうしてなのかなあ、とは思ってますけど」
すたすたと伊武は歩いて行く。
この方向は駅だ。
「キミさ、最近暗くなってから駅前のあたりに行った事ある?」
伊武の質問に首をふる。
「いえ、行ってないです」
「そう、良かった。 今、あのあたりイルミネーションしてるから」
伊武の言葉に、先日朋香がそんな話をしていた事を思い出した。
すごくキレイだったの。
リョーマ様と二人で歩けたら最高よねぇ。
そんなことを言っていた。
ちらほらと灯りが見え始めた。
近づくにつれ、その色彩と光の鮮やかさに巴は目を見開いた。
テレビで見るようなイルミネーションのように計算された美しさはない。
しかし駅前の店舗それぞれが競い合うようにして飾りつけている、意匠を凝らした光の芸術は充分に魅力的だった。
街路樹も当然のようにライトアップされて、昼間の駅前とは別の場所みたいだ。
見惚れている巴に、伊武が静かに声をかける。
その声で我に返った。
「時間が遅いからあんまりゆっくりはできないけど」
「はい、でも大満足です!
話には聞いていたんですがこんなにキレイだとは思いませんでした。……でも、なんで今日なんですか?」
ふたたび、先ほどの疑問が頭をよぎる。
クリスマスのイルミネーションだ。週末でも用は足りる。
なのに敢えて今日突然呼び出した理由を巴は知りたがった。
「…………」
「なんでですか?」
沈黙で逃げる事を巴は許さない。
再び同じ質問を畳み掛ける。
根負けして、伊武が口を開いた。
「…………俺も、今日始めてこれを見たから」
「へ?」
質問とその答えがイマイチつながらない。
「駅前のイルミネーションの存在なんて今日まで知らなかった。
偶然、今日買うものがあってこっちにきたら、こんな風だったからさ」
予想外の光景に、心を奪われた。
そして、次に伊武が思ったのは巴のことだった。
キミはこれを知っているのかな。
これを見て、どんな顔をするんだろう。
そう思うとここに巴がいないのが落ち着かなかった。
週末に一緒に来ればいいと思わなかったわけじゃない。
だけど、その数日が待てなかった。
今すぐ、巴にこの景色を見せたい。
心に思うままに、伊武は携帯を手に取った。
「………………」
「ゴメンね、ワガママで」
しれっといつもの無表情でそんなことを言う伊武に、巴は呆れればいいのか照れればいいのか、反応に困る。
そして、結局のところ嬉しいのが一番かな、と思って笑顔を浮かべると伊武の左手をぎゅっと握り締めた。
一瞬驚いたようにこちらを見た伊武が、微かに微笑むとその手を強く握り返す。
何かに心を動かされたときに、それを一番に教えたい相手がずっとお互いだったらいい。
そう思いながら。
そして、初めてこのイルミネーション見たのが今でよかった、と思いながら。
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