華火






「確かこっちの方角なんですけど……」
「それはもうわかったけど」



 冷静に言う伊武に、巴は少し困ったような顔を向けた。


「ここ、どこなんでしょうかねえ?」
「知らないよ……そもそもキミがどこに行きたいのかもわからないし」



 今日は地元の花火大会の日である。
 巴に半ば引きずられるようにしてやって来た伊武だったが、今現在、もうすぐ花火が始まるという頃、二人は当ても無く彷徨い歩いている。
 原因は、当然のごとく巴だ。

『花火がよく見えそうな絶好の場所を見つけたんです!』

 そう言ってごったがえす人混みから抜け出して歩いていったのはよいが、すっかり迷子になっている…というのが現状である。



 騒がしかった雑踏の声も遠い。
 元々地元民ではない巴だ。
 日の暮れた町並みでは土地勘も鈍る。
 何度か諦めて戻る事を勧めたのだが、完全に意地になっている巴は承知せず、結果この始末という訳だ。




「もうすぐ始まるね」

 なにげなく時計を見て伊武が言う。
 単に気づいた事を口にしただけだったのだが、巴はそうは取るらなかったようだ。


「うぅ……すいません」

 しょんぼりと肩を落とす。


「別に謝って欲しいわけじゃないけど」
「だって、もう多分打ち上げに間に合わないです」



 別に少しくらい遅れても、映画じゃないんだからかまわないと思うのだけど。



 と、その時遂に花火の開始を告げる大きな音が空に響いた。
 『間に合わない』という言葉を肯定するように。
 泣きそうな表情を巴が見せる。
 だから、別に気にしていないのに。


「……あれ」


 今、巴の背後に光が見えた。


「どうかしました?」

 尋ねる巴を促してそちらの方向へと向かう。
 細い路地を抜けると急に視界が開けた。



「うわあ……!」

 思わず巴が声をあげる。
 いつしか高台まで歩いていたらしい。
 住宅の影に隠れて今まで気がつかなかったこの場所は、なんの高層建築の障害もなく花火を見られる。


 ふと思い立って先ほど見かけた自動販売機まで缶ジュースを買いに行く。
 早々に戻っては来たが、巴は光の奔流に見とれている。
 これはおそらく自分が一瞬いなくなっていた事にも気がついてはいないだろう。
 少し面白くなくて無言でジュースの缶を巴の腕に当てた。


「ひゃっ!」

 突然の冷たい感触に巴が思わず声をあげる。
 伊武の手に握られた缶が正体だと気がつくと、口を尖らせて抗議する。


「び、ビックリするじゃないですか!」
「そう? ごめんね。
 何度呼んでも返事がなかったから」


 あまり悪くなさそうな口調でそう言うと、缶を巴に差し出す。
 案の定巴はいつの間に買いに行ったんだろう、という疑問を正直に顔に出している。


「あ、お金……」
「いいよ別にこれくらい」


 そう言ってプルタブに爪をかける。
 この蒸し暑い夜に散々歩きまわった身体に冷たいジュースが染み渡る。
 その間も視界には次々とあがる花火。
 見事な花火に、拍手が聞こえる。


「きれいですねぇ……」
「そうだね」


 返事を期待されているわけではなかっただろうが、普段になく素直な相槌が口をついて出た。




 正直、電話で誘われたときには断る理由が無いからOKした程度だったんだけど。




「あー、今日は楽しかったですね、伊武さん!
 花火も特等席で見れましたし!」
「そうだね。……ところでキミが言ってた場所って結局、あそこなの?」

 伊武の言葉に、巴がきっぱりと断言する。

「いえ、全然! でも結果オーライなんでいいです! 毎年あそこでいいです」
「あー、やっぱりね……そんな事だろうとは思ったけど……。
 ところで、毎年ってもう一度キミはあそこにたどり着けるの?」



 的確な指摘に一瞬目を泳がせた巴だったが、すぐに  笑顔でこう言った。


「大丈夫です、来年は伊武さんに連れてきてもらいますから」



自分は覚えていないくせに俺は覚えてるだろうって? 都合いいなぁ……まあ実際覚えてるんだけど。
 まあ、さっきの場所を見つけられたのはまがりなりにもキミのおかげだしね。
 しかたないから連れて行ってあげるよ。来年も、再来年も」

「はい! ゼッタイの約束ですからね、伊武さん!」


 そんな先の約束をするなんて、自分らしくないのだけど。
 でも、今日はとても楽しかったから。







一年目の夏。
どうしよう。フツーに伊武がいい人だ。

2006.7.28.義朝拝

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