「あ、そういえばもうすぐ橘さんの誕生日ですね!」
いつもどおりの河川敷コートでの練習からの帰り道、唐突にそんなことを巴が言う。 どうやら合宿の日程を調べようとスケジュール帳を開いていたらその情報に目が止まったらしい。
「ああ、そうだね。 この間森がそんなことを言ってた」 「やっぱり不動峰の皆さんでお祝いとかしたりするんですか? いいなぁ……。 青学の合宿と重なるから去年も電話でしかお祝いできなかったんですよね、私」
残念そうに溜め息をつく。 たとえ合宿がなかったとしても、去年のその日は不動峰の連中で遅くまでお祝いと称して宴会をしていたので、どちらにしても巴が誕生日当日にお祝いをする事は乱入でもしない限り無理だったのだが、伊武はそれを口にしない。
代わりに思ったことをそのまま口に出す。
「……キミ、橘さんのこと、好きだね」 「はい、大好きですよ!」
間髪いれずに返された返答に思わず知らずムッとする。
「ふーん……」
「ああいうお兄さんっていいですよね! 杏さんがうらやましいなぁ」
こう、続けられた言葉に少しだけ安心したが、それはそれで腹立たしい。
「あー、そう言う意味ね。 俺も橘さんは好きだし。 けどキミって軽々しく大好きとかそういう言葉言い過ぎ。 どうせ何も考えてないんだろうけど。 ……まあ、俺なんかがどう思おうとキミには関わりないんだろうけどね……」
「またなにボヤいてるんですか、伊武さん! すぐスイッチ入っちゃうんだから。嫌になっちゃうなぁもう」 「イヤになるのはこっちだっての……まあ、どうせわかっちゃいないんだろうけど」
「そうだ、お祝いといえば伊武さんは、もらって嬉しいものとかってありますか?」
聞いちゃいないし。
そして、それはリサーチなのか単なる知的好奇心か。
「……ないこともないけど相手にもよる」
「へ?」
意味が分かっていない巴。
「例えば、欲しいものだったとしても嫌いな奴からだったら受けとるのもイヤだし、逆に好きな相手からだったらなんてことないものでも喜んで受けとる。 そういうこと」
伊武の言葉に巴は納得した声をあげる。 どうやら論点を微妙にずらされたことには気がついていないらしい。
「なるほど〜。 あ、じゃあ伊武さんは私のこと、結構好きだってことですね?」
唐突に言う。
「……は?」
何秒かの沈黙の後、零下何十度かといった具合に冷えた声が伊武の口からでる。 心底呆れ返ったような表情。
しまった、地雷を踏んじゃったかな、と気がついた巴が慌てて両掌を顔の前で振り、取り繕うように言葉を継ぐ。
「あ、あはは、ちょっと言って見ただけですよー。 ほら、去年の誕生日プレゼント伊武さん喜んでくれてたなー、って思い出したんで」
あはははは……となんとなく乾いた笑い声が伊武と巴の間でむなしく響く。
調子に乗りすぎたなかなぁ、と思っている巴だが、実際には少し判断を誤っていた。 地雷を踏んだのは事実だが、伊武が思っていたことはまったくの正反対。
つまり、
この女は今更何をとぼけた事を言ってるのか。
と、いう事である。
「そりゃそうじゃないの? ……大体、好きな相手じゃなきゃこんなに頻繁にあったりしないし。 オレは、キミのこと好きだよ」
「あ、そうですよねー。伊武さんがイヤな相手との練習に付き合うわけないですよねー。 なんだかムリヤリ言わせちゃったみたいで、すいません」
苦笑、といった感じの表情を浮かべて頭をかきながら巴が言う。 今伊武が言った「好き」という言葉はどうやら先程巴の言った「橘さん大好き」とかと同じような扱いにされたらしい。 そういえば3月にも同じようにボケてかわされた記憶がある。 いや3月だけに限った話じゃないだろう。いつもだ。
プツリ、と頭のどこかで何かがキレた気がした。
「……意味、わかってんの?」 「へ?」
ふ、と巴が気がつくとそこには超がつくほど不機嫌極まりない表情の伊武。 彼女にはさっきよりもさらに原因がわからない。 ただ、ヤバイ、という直感だけはする。
そして、それは正しい。
「キミの事、好きだって言ったんだけど。 もう一度言おうか? 好きだ。 好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ。……好きだ。 何度言ったらわかってくれる? どう言ったらキミでも理解してくれる?」
「え、あ……、え?」
頭が真っ白になる。 思考が追いつかない。
しかし、伊武は当然待ってはくれない。そのまま畳み掛けるように言葉を継ぐ。 思わず少しずつ後ずさる。が、当然逃げられる筈もなく。
「それとも、判ってて気がつかないフリしてた? 聞きたくないから、言われたくないから判ってないフリ? そうだったとしたらゴメンね。もう言っちゃったから」
言葉は元に戻せないし。
その言葉の意味を理解して、慌てて否定する。
「いや、そんな事は、全然、……」
思わず語尾が小さくなる。 っていうか、あれ、いつの間に壁際に? そして何で帰り道の道端でこんなコトに?
頭の中は完全にショートしてる。 ただ、どこか片隅で『人通りが少ない道でよかった…』と妙に現実的なことを考えている自分がいる。
「じゃあ、答えてよ。 キミの本音を。聞いてあげるからさ。 俺は今、これ以上キミに近づいてもいいわけ?」
伊武の顔が近い。 すぐ目の前、少し動けば触れてしまいそうな距離。 これでは目も逸らせない。 相変わらず涼しげなその顔。 たった今自分に告白した直後だとは到底思えない。
「そ、そう言われても、ここここ心の準備が……!」
他所事を考えているようななけなしの余裕なんて全て吹っ飛んだ。 そのままその場にへたり込みそうになる。 心臓の音がやけに大きく響く。 本当にこの音は自分にしか聞こえていないんだろうか? 顔が熱い。 否、身体中が熱い。これは気温のせいじゃない。絶対に。
すっかり飽和状態の巴だったが、不意に伊武が巴から離れた。
「じゃ、今日はこの辺で勘弁しておいてあげるよ。帰ろうか」 「へ……?」
もう何もかもが突然で完全に置いてけぼり。
と、ぽかんとした表情の巴がおかしかったのか、伊武が少し笑う。 もっとも、一瞬の事ですぐにまたいつもの無表情に戻る。
「心の準備、必要なんでしょ? 言っとくけど、待ってあげるだけだからね」
逃がしては、あげないから。
「…………!」
ずるい。 一人だけいつもそうやって感情の読めない顔で。 私だけ全部心の中が読まれちゃってるみたいな気がする。
しかし、巴は気がついていない。 伊武は伊武でこう思っていることに。
普段から感情丸見えのくせして肝心な事はここまでしないと全然わからないんだから。 ……ホント、卑怯だよなぁ……。
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