なんとなく買ってしまったバレンタインのチョコレートを眺めていて、ふと頭に浮かんだ相手は忍足だった。 そうだ、忍足さんにあげよう。 もう放課後だ。決めたのならば早く連絡しないと。 携帯を手に取り、忍足に電話をする。 『もしもし?』 何回目かのコールの後、聞きなれた忍足の低い声が耳に届く。 なんとなしに緊張するのはバレンタインなんて催しごとに参加しようとしているからだろうか。 務めて平静を装いながら口を開く。 「あ、忍足さん? 巴です。 すいません、突然ですけど今日ってこれから会えませんか?」 「ん、ええよ。 ほんなら青春台の公園でええ? 今から行くわ」 「はい! それじゃ待ってますね」 電話を切るとそのまま公園へ向かう。 場所柄到着するのは当然巴の方が早い。 この時期、ベンチに座って待っていると芯から冷気がしみ込んでくるような気がするのだが、今日に限ってはさほど寒さも気にならない。 氷帝からここまでだともう少し時間がかかるだろうと思っていたのに、存外早く忍足は姿を現した。 「お待たせ。堪忍な。こんな寒いねんから屋内で待ち合わせたらよかったな」 そう言っている忍足本人は汗までかいている。 それもそのはず、バス停から走ってきたらしい。若干息が切れている。 「ちょ、忍足さんこそ大丈夫ですか!? そんなに急がなくってもよかったのに……」 「いや寒いとこ待たせとんのやし、それに」 隣に腰を下ろすと、巴が鞄から取り出して手渡したペットボトルの水をひとくち口に含み、こちらを見て笑った。 「巴チョコくれんのかな、と思ったらつい急ぎ足に」 「え!?」 急ぎ足というレベルではない。 いやそこではなく。 「……あ、違た?」 「いえ、違わないですけど!」 「ほなよかった。勘違いやのうて」 違わないんだけど。 そんなに喜ばれているというのは想定外だ。 わざわざチョコを渡すためだけに呼び出したのも申し訳ないと思っていたくらいなのに。 「……あの、忍足さん、チョコ貰ってないんですか?」 「巴からは」 「それは知ってますよ! あんまり嬉しそうだから誰からも貰ってないのかなと」 「まあ、それは……そんなことはないんやけど」 若干、口を濁す。 これはけっこう貰っていると見た。 「欲しかったんは巴からのチョコやから」 「へ」 「その他大勢の義理チョコでも、誰かにあげそこなったチョコやったとしても、巴がくれるんやったらそれが一番嬉しい」 思わず間の抜けた声を出した巴には構わずそのまま畳み掛けるように言う。 これは。 これはちょっと想定外だ。 常らしくもなく子供のように手を差し出す忍足に、思わず巴は鞄を抱きかかえてガードする。 「ちょ、ちょっと待ってください! チョコレート……やっぱ今渡せないとか言っていいですか」 「え、なんで?」 だからその無防備な顔はやめてほしい。 いつもは本音が全然見えないのに。今日この日に限ってダダ漏れとか。 「あの、怒らないで聞いてくださいね。 今持ってるチョコレート、本当は忍足さんにって選んで買ったんじゃないんです」 「別にええんやけど。さっきも言うたけど誰かに渡し損なったチョコでもかまへんって」 「そんな失礼な事しませんよ! そうじゃなくて、友達に付き合ってチョコ売り場に行って、なんとなく誰にあげるとか考えないで買ったチョコなんです」 なんとなく美味しそうだな、と思って、かわいいなと思って買ったイチゴのチョコレート。 そこにあるのは自分の趣味嗜好だけで渡す相手の存在はない。 なので、あまりそんなふうに喜ばれると、困るのだ。 「それでも、それ誰に渡そう思って考えて俺を選んでくれたんやろ」 「う……それは、そうなんですけど……」 「それだけでめっちゃ満足やねんけど。それ以上のもんなんか求めへんて」 そう言って出した手をひっこめない忍足に、一瞬巴も鞄の中のチョコを渡しそうになるが、すぐに慌てたように首を横に振った。 「やっぱダメです! これは渡せません!」 「なんでなん。いけずやなぁ」 「いけずで結構です! っていうか、やり直させてください!」 巴の言葉に忍足が怪訝な表情をしたが巴は構わず続ける。 というか勢いに乗せなければ口に出せない。 「だから……もう一回、今度は最初から忍足さんのためにチョコ用意しますから、バレンタイン過ぎちゃうけどもうちょっと待ってください」 なんとなく買ったチョコレートではなく。 誰か一人のために選ぶチョコレートを。 一瞬あっけにとられたような表情を浮かべた忍足は、差し出していた手をひっこめると口元にあて、小さく何事か呟いた。 「え、今何か言いました?」 「自分、俺を喜ばすんが上手すぎるわ」 そしてもう一言付け足した。 「ほんなら、今度は欲張ってもうちょっと期待してもええん?」 ただのチョコレートではなく、『本命チョコ』を。 |