「日吉さん、夏祭りに行きましょう!」 「断る」 突然かかってきた巴からの電話だったが、日吉は間髪入れずに切り捨てた。 普通の女ならここで諦めてしまうところだろうが、相手は巴である。 そう簡単にはいかない。 「そう言わずに、行きましょうよー。楽しいですよ?」 「何が楽しいんだ。人混みにまみれて暑苦しい思いをするだけだろうが」 考えただけでうんざりする。 あの人が集まった時独特の熱気。 同じ暑苦しさなら締め切った部屋の中にこもっている方がまだマシだ。 「屋台巡りとかはお祭りの時しかできないじゃないですか。ね、行きましょうよ。 それとも日吉さんは人混みの熱気に負けてしまうくらいに暑さに弱いんですか?」 あー、だったらしょうがないですねえ。 勝手に納得する巴につい日吉は言い返してしまっていた。 「バカを言え。 この俺がそれしきでへばる訳がないだろうが」 「じゃ、行けますよね?」 後日この話を聞いた忍足が「巴、日吉マスターやな……」との評価を下していたらしい。 とにもかくにも、当日。 ようやく日が陰り始める頃に、待ち合わせ場所に不機嫌そうな表情で日吉は立っていた。 いつもの事だとはいえ、何故無理に誘われた自分の方が先に到着しているのか。 それは常に早め早めの行動を心がけている日吉と、早めの行動を心がけてはいるものの大抵出かけ際に不測の事態が発生して最終的にギリギリになる巴の違いである。 時間潰しに、見るともなく周囲を観察する。 駅の改札は電車が到着するたびに大量の人を吐き出して行く。 よくもまあこれだけ集まってくるものだと呆れる程の人の波。 夏祭りだけあって浴衣姿も大勢目に入るが、これがまたお粗末極まりない。 腰高に帯を締める男子、くるぶしが丸見えの女子などまだかわいいもので衿合わせを左前で平気な顔をして歩いている輩とて一人二人ではない。 なまじ知識があるだけに、知らなければ気にもならないであろうそんな些事が目についてしょうがない。 なので、やっと姿を現した巴が洋服である事に、却って日吉はほっとした。 余計な事を言ってしまわずにすんだからだ。 「お待たせしました! すいません、もっと早く来るつもりだったんですけど途中で財布忘れてたのに気が付いて……」 「別に。約束した時間よりは前だ」 ギリギリではあるが。 これで案外巴は遅刻はしない。 そして約束の時間を過ぎない限りは待たされていても自己責任である。 「じゃあ、行きましょうか」 満面の笑みで巴が日吉をせかして歩き出す。 さらに大量の人込みの中へ。 「あー、やっぱり浴衣の人、多いですねぇ」 辺りを見渡しながら、つぶやくように巴が言う。 その言葉に、少し残念そうなニュアンスを感じ取った。 「なんだ。 お前も着たかったのか」 「はい。でも浴衣は実家に置いてきちゃってたんで……」 それは残念だったな。 着たければ送ってもらえばいいんじゃないのか。 お前の場合、洋服の方が動きやすくていいだろう。 何か言おうかと考えたが、どれも自分らしくないのでただ日吉は「そうか」とだけ答えた。 夜店を冷やかして歩く。 祭りの大元である神社になど立ち入らない人も多いんじゃないだろうか。 となると祭りの主役は屋台か。 そんなことを思いながら、ふと気が付くと巴の姿が横になかった。 まずい。 はぐれた。 周囲を見渡すが、人だらけの視界に巴の姿は映らない。 いつから考え事をしていた? 一瞬携帯を手に取るが、すぐにこの喧騒の中では着信音など耳に入らないだろう事に気が付いて止める。 落ち着け。 巴がいそうな場所を探して来た方向に戻る。 漫然と眺めていた屋台を、今度は目を皿にして。 彼女が好きそうな場所。 立ち寄りそうな店。 気を惹かれそうな物。 大丈夫、きっと見つけられる。 そう自分に言い聞かせる。 「あ、日吉さん! よかったーっ! 気が付いたら横に日吉さんいないんですもん。 どうしようかと思いました」 そう言ってはいるが、日吉が見つけたとき巴は楽しそうに金魚すくいを眺めていたのだが。 なんだか自分が必死になって探していたのがバカバカしくなる。 いやそもそもはぐれたのは俺だとか思っていないだろうなコイツ。 「よく言うぜ……」 「へ? なにがですか?」 「別に。金魚すくい、やりたいのか」 話題を逸らすと、巴は少し考えてから首を振った。 「金魚がかわいそうだから止めときます。猫がいるんで」 そういえばそうだった。 そうでなくとも居候が生き物を持ち帰るのはまずいだろう。 「じゃあ、行くぞ」 「はい。今度ははぐれないように気をつけますね」 一応、反省はしているらしい。 心配をかけたという自覚はあるのだろう。 「ああ……そうだな」 そう言って、日吉は巴の手を取った。 これではぐれようにもはぐれられない。 一瞬驚いたように巴が日吉に握られた自分の手を見て、それから日吉の顔を見上げる。 「あの……」 「なんだ?」 人ごみは減らない。 周囲は相変わらずの熱気を保っている。 「暑くないんですか?」 「暑いに決まってるだろうが。バカかお前は」 「手、握ってると、尚更暑く無いですか?」 「嫌なら、離せ」 離されるかもしれないな。 そう思っていた日吉の手を、巴が下から強く握った。 驚いて巴に視線をやる。 目が合い、巴は少し赤い顔で嬉しそうに笑った。 「暑いですね?」 「……ああ、そうだな」 本当に暑い。 これは、きっと気温や人ごみのせいだけじゃない気もするけれど。 |