気まぐれ






 休日の街は人通りが多い。

 あまり喧騒を好かない日吉は内心うんざりしながら、一刻も早く人混みを抜けるべく早足で歩いていた。
 通りすぎる人の顔など、いちいち見ている筈もない。


 それなのに、彼女の姿が目にとまった。


 長い髪、年齢の割には高い身長。
 間違いない。



「赤月」



 名前を呼ぶ。
 彼女は気がつかないでそのまますれ違って行く。


「おい、赤月!」


 二度目の呼びかけで、やっと怪訝そうに振り返り、日吉の姿を認めてすぐにそれは驚きの表情になった。


「あれ、日吉さん! どうしたんですかこんなところで」


 こんなところで、と言われる程突飛な場所ではないと思うが。
 コートと学校以外の場所には立ち入らない人間とでも思われているのだろうか。


「スポーツショップに用があってな。もう帰る所だ」


 しかしやはり外出の用件がテニス絡みであるあたり、巴がそう思っていたとしてもあながち間違いとは言い難い。

「へー、そうなんですか。
 私もお買い物がてらに散歩を。……けど、意外ですね」
「何がだ?」


 訊ねる日吉に、巴は周りにちょっと目をやる。


「私、日吉さんって出先で知ってる人を見つけても、そのまま素通りするタイプかと思ってました。
 ましてやこんな人通りが多い場所で」



 そういえばそうだ。


 人混みの中でわざわざ足を止めて、しかも一度呼んでも気がつかないような相手を呼び止める必要は皆無だ。
 けれどさっきは当たり前のように声をかけた。
 多分、もう一度声をかけても気がつかなければ腕を掴んでいただろう。

 用事もないのに。


「そんな事より、日吉さんもう用事は終わったって言ってましたよね?」
「ああ」


 日吉が答えると、巴は彼が肩から下げているラケットケースに目をやった。


「ってことは、今から練習に行ったりします?」
「……その予定だが」
「私もご一緒していいですか?」

「なに?」


 なんで他校生の巴と仲良く練習をしなければならないのか。
 日吉にとって巴は倒すべき敵だ。
 選抜合宿初日に苦汁を飲まされて以来の。


 それともこいつにとっては自分は敵に値しないとでも言うのか。



「いいじゃないですか。
 せっかくここで出会えたのも縁ってことでひとつ」


 そんなことを言ってにこりと微笑む。
 このこだわりのなさが彼女の強さなのだろうか。


 下克上、などと軽々しく口にしてはいるが、真にその言葉がふさわしいのは巴の方だ。
 対戦後、巴のテニス経験がわずか1年たらずだと聞かされて驚いた。
 それが全国クラスの選手を打ち破っていく。
 自分が関わっていなければ、きっとその様は小気味良いものだろう。



 少し考えた末に、日吉は微妙なコダワリを捨てる方を選んだ。


「呼び止めたのはこっちだからな。付き合ってやるよ。だが……」
「ホントですか! ……だが?」
「お前、ラケット持ってるのか」


 日吉の言葉に、巴の表情が固まった。
 今彼女が下げている小さな鞄にラケットが入っているとは到底思えない。
 物理的に不可能だ。


「あ、あの、今すぐダッシュで家まで取りに戻りますんで!」


 その言葉通りきびすを返して走り出そうとした巴だったが、それをすんでのところで日吉が止めた。

「待て。そのまま走って行ったらその後どうやって連絡をとるつもりだ」

 行く先も連絡先も何ひとつ伝えていない。
 そのまま去られていてはそれで終わりだっただろう。


 ……別にそれでも構わない筈なのだが。



「ほら、行くぞ」
「へ?」
「とりあえずお前の家まで行くんだろう? ラケットを取りに」


 先ほど巴が向かおうとした方向に日吉が歩いていく。
 慌ててその背を追いながら、巴が問う。

「家まで付き合ってくれるんですか?」
「呼び止めたのはこっちだからな」


 再び先程と同じ台詞を繰り返す日吉に、巴はえへへ、と締まりのない笑い声をあげて日吉の隣に並んだ。
 そして、肩を並べて歩く。
 人込みの中を。



 さっさと用事を済ませて練習に入るつもりだったのに、とんだ回り道だ。
 だけど、たまにはこういう日があってもいい。


 なんとなく気分がいいその理由は、まだ、知らない。







恋愛未満。発展途上。
人ごみで知り合いを見つけられる人ってすごいなぁと思うわけなんですけど。
私はいつも発見される側です。

2006.6.6

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