やっぱり降ってきやがったか。 車の窓に一滴、二滴。 瞬く間にフロントガラスに水滴が増え、もう数える気にもならない。 フロントガラスをワイパーが動き、屋根の上に雨粒が当たる音が静かな車内に響く。 慌ててひさしの下へ向かう人、手に持っていた傘を広げる人。 それぞれが突然に降り出した雨に対処すべく行動を起こしている。 それを見るともなしに見ていた跡部が不意に口を開いた。 「停めろ」 長年跡部家に仕えている有能な運転手は無駄口をたたくこともなく静かにしかし迅速確実に路肩に車を停める。 ドアを開く。 「おい、巴」 跡部の声に、鞄を胸に抱えて早足で歩いていた長い髪の少女が振り返る。 やはり巴だ。 「あれ、跡部さん。こんにちは」 足を止めて頭を下げる。 雨足は弱まる気配がないのでとりあえず目の前の店舗のひさしの下へと移動する。 「雨降ってきちゃいましたねー。跡部さんも今日は歩きですか? 運が悪いですね」 「いや、そこに車を待たせてある」 指で車を指し示すと巴は不思議そうに首をかしげた。 「じゃあなんで今降りてるんですか? 雨降ってるのに」 鈍い。 コイツのこの察しの悪さはどうにかならないものか。 「お前がいたから迎えにきてやったんだろうが」 「へ?」 「送っていってやる。来い」 跡部の言葉に巴は慌てて手を横にふる。 「いやいや、それは悪いですよ! どこに行くのか知りませんけど回り道になっちゃいますし」 「大差ねえよ」 「ガソリン代も無駄遣いですし!」 ガソリン代? 心底どうでもいい。 なんでそんなところを気にするのか跡部には理解不能だ。 「じゃあなんだ、テメェは俺様に今こうやって浪費させている時間よりもほんの少しの寄り道に費やすガソリン代の方が価値が重いっていいたいのか」 「あ、いえ、そんなつもりでは……!」 「だったらグダグダ言ってねえでおとなしく乗れ」 そこまで言ってやっとおとなしく巴は跡部の後に従った。 車に乗り込むと、巴の(ひいては越前の)家に向かわせる。 車が再び走り出すと、示し合わせたかのように雨足が強くなった。 「これは、跡部さんに拾ってもらわなかったら確実にびしょ濡れでしたね」 「だから素直に俺様の言う事を聞いてろっていうんだ」 「けど唯々諾々と跡部さんのいう事聞いてたらそれはそれでつまんながられそうですよね」 それは確かにそうだが。 そして素直に自分のいう事に従っている巴というのは跡部にもちょっと想像がつかない。 跡部と話しつつも巴の顔はずっと横に座っている跡部とは反対の方向、窓の外を向いている。 外に映るのはもちろん何の変哲もないいつもの地元の風景だ。 「……お前、車に乗ったことないのか」 「なっ!? そんなわけないじゃないですか!」 口をとがらせて反論する。 やっとこちらを向いた。 「バカみたいにずっと外ばっか見てるからだ」 「それは……跡部さんはこんな風に外なんて見てないですよね」 「当たり前だ」 「こうやってずっと外を見てても意外と歩いている人の顔って見えないなと思って。跡部さんよく私に気が付きましたね」 「…………」 不思議そうに言う巴に、跡部には珍しく一瞬言葉に詰まった。 普段車に乗っていて歩行者の顔など意識した覚えは確かにない。 しかし跡部は巴を見つけた。 「俺様とお前を同列で考えるな」 「そっか、そうですよね」 あっさり納得してしまう巴とは対照的に、自分で言っておきながらなんとはなしに跡部は納得しないものを感じていた。 多分、理由は他にある。 そんな気がしていた。 その理由に跡部が思い至るようになるのは、もう少し後の話である。 |