太陽も大分長居するようになった。 少し前ならばこの時間はもう日暮れ時だ。 車の後部座席で、まだ勢力を弱めることなくガラス越しに射し込んでくる日光に跡部はそんなことを思う。 もうしばらくすれば外はうだるような暑さに変わるだろう。 また、夏が来る。 暑い暑い夏が。 車はやがて静かに自宅敷地内へと入る。 「お帰りなさいませ」 「ただいま」 車から降りると、出迎えたメイドに上着を渡す。 「本日はどちらかにお寄りだったのですか」 「ああ、ちょっとジムに寄ってきた。……」 何気なく答えてから、跡部はその不自然さに気付き、怪訝な顔をする。 跡部家の使用人は年若い者が多いが、それは決して未熟な使用人を雇っているということにはならない。 執事の教育が行き届いているので皆きちんとした規律の元に過不足ない働きを見せる。 そう、普段ならば跡部の帰宅が遅かろうと差し出口を挟むメイドなどいない。 越権行為にあたるからだ。 それはメイドの職務ではない。 メイドは、そんな不審気な跡部に笑顔で告げた。 「巴さんがいらっしゃってます」 「巴が? いつ頃からだ」 別のメイドが立て板に水の如く即答する。 「二時間半ほど前でございます」 「……どうしてその時点で連絡しない」 知っていれば寄り道などせずに真っ直ぐ帰宅した。 若干機嫌を損ねている跡部に、メイドはすまして答えた。 心なしか楽しそうだ、とそう思うのは気のせいだろうか。 「巴さんが、景吾様に連絡をする必要はない、とおっしゃいましたので」 この家の主人は誰だ。 最も、巴は他の来客とは一線を画した扱いを受けている。 様付けで呼ばれないのも彼女の希望だ。 フランクでやたらと人懐こい巴は跡部邸の使用人に妙に人気がある。 何せ大事な景吾坊っちゃんの『一番大切な人』だ。 当初は双方それこそ腫れ物に触るような態度だったのだがいつの間にやらこの状況である。 これが人心掌握術だとしたら大したものだが、当然ながら巴のそれはただ自分の好きなように動いた結果である。 「まあいい。で、巴は」 「貴賓室にいらっしゃいます。ですが……」 メイドの言葉を待たずに歩き出し、扉を開く。 跡部が状況を理解したのと後ろからメイドが説明の続きを伝えたのは同時だった。 「只今お休みになっておりますが」 跡部の目に映ったのは貴賓室のソファーで居眠りをしている巴の姿だった。 肩には使用人の誰かが用意したのであろう、毛布がかけられている。 がっくりと身体の力が抜ける。 「寝てるのなら客用寝室に連れて行けば良かったんじゃねえのか」 「それも申し上げましたが、巴さんに固辞されましたので」 「あー……わかった」 うんざりしたように言う跡部に静かに一礼するとメイドは貴賓室の扉を閉める。 ため息をつくと跡部は巴の傍に歩を進めた。 巴が起きる様子は無い。 すやすやと気持ちよさそうな寝息を立てている。 なんの予告もなくいきなりやってきたかと思えば人の家で熟睡している。 本当にコイツの思考回路は理解不能だ。 先刻、もうすぐ夏が来ると思ったことを思い出す。 夏が来る。 と、いうことは巴と出会ってから一年が経つと言うことか。 一年経っても巴のことはサッパリわからない。 きっとこれからもわからないことだらけなのだろう。 ……さて、起こすべきか、否か。 まじまじと巴を眺める。 見ているこちらの気が抜けそうな程に幸せそうな寝顔。 先程まで硬く結ばれていた跡部の口元が、少し緩む。 壁にかかった時計で時間を確認する。 結局、足の向きを変えると向かい側のソファーに腰を下ろした。 まだもう少しは、寝かしておいてやってもいい。 「にしても、なんでコイツがいいんだか。 気が知れねえな、我ながら……」 甘い、コーヒーの香り。 コーヒー自体は苦いのに、どうして淹れ立てのコーヒーの香りは甘いんだろう。 まず、思ったのはそれだった。 ……淹れ立てのコーヒー? 一気に覚醒する。 がばりと毛布を跳ね除けて起き上がると、優雅にコーヒーカップを口元に運ぶ跡部と目が合った。 「やっと起きたか」 「え、あれ、いつのまに帰ってきたんですか、跡部さん!?」 いつの間にやら向かいに座っている跡部に動揺する巴に構わず、一口コーヒーを口に含むと、カップをソーサーに置く。 「30分ほど前だな。 ちなみにお前がここに来てからは三時間が経過しているそうだが」 「お、起こしてくださいよ! これじゃ私、跡部さんのところに寝に来たみたいじゃないですかーっ!」 あきらかにお門違いの絶叫が響き渡る。 おそらく、部屋の外では使用人たちが忍び笑いをもらしていることだろう。 |