日曜日の朝は、平日とは違い平和そのものだ。 平日の朝は戦場である。 ダイニングはごった返し、どこかで誰かが口論をし、それを誰かが諌め、時計を見て悲鳴をあげ、最終的にダッシュで駆け出すといういずれ廊下のどこかの部分が抜けるのではないかと言う混乱が毎日繰り広げられている。 それに比べると、休日は優雅なものだ。 起きてくる時間にそれほど差があるわけではないのだが(一部例外はいる)、時間に余裕があるというこの一点が大きく違う。 そんな平和なダイニングに南次郎が顔を出した。 「おはよう、お父さん」 「おう、おはよう」 自分の分のご飯と味噌汁をよそいテーブルにつくと、丁度横に座っていた国光が読んでいる新聞にちらりと目をやったが、思い直して、食事を終え席を立とうとしていた貞治に声をかける。 「今日の天気はどうなってる?」 「夕方6時まで降水確率10%、予想最高気温は21度、同じく最低気温は9度。 風も強くなく行楽日和……といったところかな」 立て板に水の如く貞治が答える。 新聞を開くより早く、且つ情報が新しいので越前家では手元に新聞がなければ大抵の情報は貞治から引き出すのが定石となっている。 「よし」 しかし南次郎が天気をわざわざ尋ねることはあまりない。 貞治の回答に、満足気に頷くと南次郎は唐突に宣言した。 「じゃ、今日は皆で花見でも行くか!」 越前家の花見はかくのごとく突然の家長の思いつきで行われる。 「え、いきなり、今日!?」 「なんだ、今日はお前ら部活ねえだろ?」 「ないけど……お弁当つくるヒマが……」 食事当番組が難しい顔をする。 しかしこれだけ人数がいて急な行楽に心配する事が弁当のことだけというのはどうなんだろう。 誰か一人くらい『デートの予定が』などと言い出してもいいようなものだが。 ……などと考えるだけ無駄というものである。 この兄弟妹の頭の中は今のところ基本テニスと末子のことしか、ない。 「たまにはいいんじゃねえか? 屋台で買い食いでも」 南次郎の言葉に巴の目が輝いた。 何しろこの人数である。 屋台でものを食べるという事があまりない。 「え、本当に? いいの?」 「……食いすぎんなよ」 警戒して釘を刺したが、はっきり言ってそれは無理というものであろう。 体育会系の育ち盛りの中学生が十人。 イナゴの大群のようなものだ。 「じゃあ、出かける準備をしようか」 「今からでこの人数の場所を確保できる桜の名所といえば……」 「私、武兄ちゃんたち起こしてくる!」 巴が勢い良く二階に駆け上がっていった。 「はぁ〜、なんとか場所確保、できたな」 「コレと言うのもテメェが起きてこねえからだろうが」 「あぁ!? なんだと薫!」 「毎日毎日揉めてて、よく飽きないよね」 桜の下にゴザをしきつついつもどおりのケンカに発展しつつある武と薫を見て、リョーマが溜息を付く。 と、周助が笑顔でぽんとリョーマの肩を叩いた。 「他人事みたいに言ってるけど、起きてこなかったのはリョーマもだよね」 「う……」 「ったく、しょうがないな〜」 「英二、お前もだ!」 なにはともあれ。 「じゃ、場所取りしといてやっから、メシ買って来いガキども」 敷物の真ん中に寝転がって南次郎がサイフを秀一郎に投げる。 「巴、なに食べたい?」 「えーっと、焼きそばもいいし、お好み焼きも食べたいし、ああ、でも……」 「お腹と相談して決めなよ」 ずらりと並ぶ屋台を見ながら頭を抱える巴に苦笑しつつ周助が言う。 これだけあると決められないのも頷ける。 「大阪焼だろ? たこ焼きにアメリカンドック、シシカバブに焼き鳥、あとは……」 「武、……お前は予算と相談して決めてくれ」 各自担当を適当に割り振って散開する。 薫は、焼きそばを買うべく適当に屋台に並ぶ。 それにしてもすごい人手だ。 迷子も多いんじゃないだろうか。 そんな事を考えたとき、そういえば昔ここで巴が迷子になった事を思い出す。 やはり、花見の時だった。 昔から、というより昔は今よりさらに兄達は巴にべったりだったがやはり行楽となると目の前の出店やなんかに夢中になる。 ふと気が付くと巴の姿が見えなくなっていた。 必死で探し回り、薫がようやく泣いている巴を見つけて家族の待っているところまで手を引いて連れて行った。 小さな手が、必死になって薫の手を掴んでいた。 自分がしっかりと巴の手を繋いでいてあげないと。 そう思っていた。 初めて感じた責任感というやつなのかもしれない。 今はもう手を握っている必要はない。 もっとも、巴は今でも注意力散漫でちょろちょろと姿を消しはするが。 兄達ほど自分は巴に対して執着していないつもりではあるが、やはり今日みたいに空いてしまった手のひらに一抹の寂しさを感じることは、ある。 きっと花見の喧騒があまりに賑やかだから。 「あ、薫お兄ちゃん! もう買い物終った? 一緒に戻ろう!」 人ごみの中から巴が薫の姿を見つけて駆け寄ってきた。 通り過ぎる人をすりぬけつつ走るその姿は非常に危なかっかしい。 「こんな人ごみで走るんじゃねえ。……危ねぇだろうが」 「大丈夫だよー。さ、早くしないとお兄ちゃんたちが待ってるよ」 薫の忠告を意にも介さず、今度は薫の空いている方の手を引いた。 昔と逆だ。 巴に引きずられながら、薫は珍しくほんの少しだけ口元に笑みを浮かべた。 あの時握った手は、きっとまだ繋がっている。 |