「巴、……巴!」
繰り返しかけられた声に、ようやく巴はまぶたをうっすらと開いた。
今日は部活もないし朝食当番でもない。
なんだからもうすこし朝寝をさせてくれても……。
そう思ったところで、がばりと巴は跳ね起きた。
部活もないし朝食当番でもない今日は、特別な日だ。
部屋のドアを開くと、先ほどまでの声の主、秀一郎が廊下で待っている。
「おはよう、巴。
気持ちよく寝ているところ悪いが、もう起きてくれないか」
「はいっ!」
言うが早いが、階下へ駆けていく。
走っていることに 対する薫の叱責と、おざなりに謝る巴の声が続く。
今日は、クリスマスだ。
イブではなく、25日。
越前家ではクリスマスのお祝いはイ24日ではなく25日に行う。
理由は明白。
『神様の誕生日前夜祭よりも家族の誕生日の方が大切だから』である。
イブはリョーマと巴の誕生祝を優先させるのでクリスマス色はない。
その分、周りと一日遅れた25日は越前家のクリスマス本番なのである。
二日連続のお祝い。
一年の終わりに、一年で一番派手にお祝いをする。
とは言っても出費の関係でクリスマスプレゼントは、ない。
けれど今年は違うのだ。
確かに周助が昨晩巴に告げた言葉。
『明日の朝、居間にクリスマスプレゼントがあるよ』
クリスマスプレゼント。
誕生日プレゼントは昨日兄弟から大量にもらったので、欲張るわけではないがやはりその言葉の響きは魅力的だ。
クリスマスプレゼント。
なんだろう。
含みのある周助の笑いが気になる。
実のところ、巴にはひとつだけ心当たりがある。
そして秀一郎がわざわざ起こしにきた理由。
ひょっとして。
ひょっとしたら。
勢いよく居間の扉を開く。
――そこには。
「お兄ちゃん!」
「巴。家の中とはいえ中学生にもなって寝巻姿でうろつくのはいかがなものか」
まるで数日前からそこにいたかのように泰然自若と新聞を読みながら巴に注意をする国光の姿があった。
国光の言葉には構わず、駆け寄る。
袖を掴んでも消えない。
寝ぼけて見ている夢じゃない。
「お兄ちゃん、なんで、今着いたの? なんで教えてくれなかったの?」
「……ああ。秘密にしておけと周助が。
ただ、クリスマスイブには間に合わなかった。すまない」
すまなそうに言う国光に、激しく首を振る。
「巴、驚いた?」
後ろから周助の声がする。
振り向くと、兄弟達が揃って楽しそうにこちらを見ていた。
「お兄ちゃんたち、知ってたんなら教えてくれればよかったのに!」
「ハハ、ゴメンな巴」
「えー、だって教えたら面白くないじゃん」
英二の言い分に、頬を膨らます。
が、それを維持しきることはできなかった。
どうしても頬は緩んでしまう。
「うん、でも最高のクリスマスプレゼントだった。
ねえねえお兄ちゃん、アメリカでのテニスはどうだった?」
「いいからさっさと着替えて顔を洗って来い。……話はそれからだ」
再びの国光の叱責を受け、舌をだして部屋を後にする。
「国光兄ちゃんが昨日帰って来れなくて正解だぜ。
昨日だったら完全に巴の視界から俺たちのプレゼントなんか消えうせてたっての」
「……消え失せるのはプレゼントだけじゃないと思うけど。まあ、今日でもとりあえずうるさいのには変わりないし」
昨日とは違う、クリスマスケーキを用意して鳥を焼く。
クリスマスのご馳走を用意していると、向こうから国光を中心として兄弟達が騒いでいる声が聞こえる。
半日たっても積もる話は尽きることがない。
「巴も向こうに混じってくるかい? ここはボクが代わるよ」
台所に顔をだした周助に、笑顔で首を振った。
別にそれほど手間のかかる作業は残っていない。
「ねえ、周助お兄ちゃん」
「なんだい?」
居間の方に視線を向けて、巴がぽつりとつぶやく。
「お兄ちゃんが帰ってきてくれて、嬉しいけど、私ひとつわかっちゃったんだ」
国光がいて、父母がいて、他の兄弟達がいて。
毎年の同じようなクリスマス。
今までずっと続いてきた恒例行事。
「こうやってみんなで過ごせるクリスマスは、これからもずっとおんなじように続いていくわけじゃないんだよね」
来年は、再来年は。五年後、十年後は。
いつかはわからないけれど、いつか櫛の歯が抜けるように全員揃うことはなくなっていく。
その未来の可能性を言う巴に、周助はなんと言っていいかわからない。
彼には珍しく言葉を詰まらせると、巴は振り切るように笑った。
「なんて、ゴメンね、急に変なこと言っちゃって。コレ持って行っちゃうね」
そう言って料理の皿を持って台所を立ち去った。
入れ替わりに貞治が顔を覗かせる。
「ん、周助だけか」
「ああ、貞治。
……ねえ、女の子は急に大人になっちゃうから寂しいね。ボク達はすぐにおいていかれてしまう」
「……?
確かに昨日誕生日は迎えたが、巴はまだ14だろう」
言葉の意味がつかめない貞治に、周助はそれ以上何も説明することはなくただあいまいな笑みを浮かべた。
自分達が考えもしなかった未来。
離れていく将来なんて、考えたことはないし、考えたくもない。
けれど、気が付いたときにはもうそれはきっと、目の前にあるのだ。
ならばせめて。
今、一緒にいられるこの時は。
―― Happy merry christmas! ――
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