休み時間に教室の戸がガラリと開けられ、女の子が姿を現した。 「お兄ちゃん!」 今の台詞からすると誰かの妹か。 まだ真新しい制服からして一年生だ。 上級生の教室というのはなんとなく近寄りがたいものだがまったく物怖じする様子もない。 あり得ないが、まるで出入りすることに慣れているような。 「巴、どうした?」 彼女に近づいたのが国光であることにクラスメイト達は少なからず驚いた。 彼が反応する、ということはあれが噂の越前兄弟の掌中の玉か。 話には聞くが一組教室に彼女が姿を現したことはなかったので大概のクラスメイトは初めて巴を見た。 なので兄弟皆が妹に過保護だと聞いてもどうもこの国光の姿とその噂が結びつかない。 「英和辞書借して欲しいんだけど」 「辞書? いつも隆に借りているんじゃないのか」 「そうなんだけど、タカ兄ちゃん、今日辞書忘れちゃったんだって。 周助お兄ちゃんと英二兄ちゃんは次の時間英語。秀一郎兄さんも移動教室でいないし」 どうもこの越前家では、辞書を何冊か共有しているようだ。 「……それで、最後の最後に俺のところに来た訳か」 あれ、拗ねてる? まさか、彼がそんな。 「順番に回っていっただけだよ。 だから貞治兄さんのところもまだ行ってない。 友達のを借りようかなとも思ったんだけど新しい辞書って気を使うしやっぱり自分の辞書がないとこういうとき困るね」 「では、次のお前の誕生日には辞書を贈ろうか」 「えっ!? そ、それはちょっと……」 「冗談だ」 そう言いながら妹に辞書を手渡す。 冗談!? あの越前国光が冗談! そんなスキル持ってたのか! 既にクラス中の注目はこの二人に向けられている。 もっとも堂々と視線を向ける勇者はさすがにほとんどいないが。 「なんだ〜。もう、一瞬本気にしちゃった。 ありがとう。じゃあ次の休み時間に返しに来るから」 そういって立ち去ろうとする少女を国光が呼び止める。 「別に今日はもう使わないから急いで返す必要は無い。 あと、教室まで送って行こう」 は? 送る!? 一体一年の教室がどれだけ遠くにあると? ひょっとしてそれも冗談? さすがにそれは彼女にとっても不要らしく軽く断られる。 「いらないよ。すぐじゃない」 「そうか」 簡潔だが若干残念そうに聞こえるのは気のせいだろうか。 って言うかやっぱり冗談じゃなかったんだ。 今度こそ教室を立ち去っていく彼女にまだ『廊下は走らないように』と親か教師のような注意までしている。 しばらくしてやっと席に戻った国光は何か視線を感じて周りを見る。 即座に周囲は目を逸らす。 ほんの 数分だったが意外なモノを見てしまった。 かくして一組生徒は噂は本当だった、と本日認識を新たにしたのだった。 |