10月。 聖ルドルフ学院中等部は9月末からの修学旅行を終えて 帰国した3年生を再び迎え、 また、もうすぐ訪れる創立記念日の休みを控えて 生徒達はにぎやかに少し浮き足だって過ごしていた。 今年転入してきた赤月巴もその例外ではなく、 どことなしにうきうきと日々を過ごしていた。 もっとも部活、スクール共にテニスの精進は厳しくも楽しいものだったし、 テニス部員達やクラスメイト達ともすでにうち解けている。 同じクラスで寮生の早川は面倒くさそうにしながらも 結局は率先して巴に世話を焼いてくれる。 なによりも大好きな彼氏━━━観月はじめがいる。 中等部と高等部ではいつも一緒という訳にはいかないが、 性格のマメな彼のことだから時間を見つけては逢い、 メールを送りあう日々だった。 そんな日々の中に過ごす巴に沈んだ時の方が少ないのだったが。
*記念日
「おい、赤月」
移動教室の途中、早川楓と3年の教室前を通ると後ろから声をかけられた。 聞き慣れたその声に振り向くと、そこに立っていたのは不二裕太だった。
「あれれ?不二先輩じゃないですか、どうしたんですか?」
「校内で私たちに声をかけるなんて珍しいですね」
早川の言葉通り、滅多にないことだったので二人ともビックリしている。 裕太も照れくさそうに、頭を掻きつつ二人に紙袋を差し出した。
「これ」
小さめの紙袋。 二人にはなにかを貰う理由など思い当たらなかったので小首をかしげてしまう。
「なんですか?これは」
「…土産だよ、修学旅行の」
そういえば裕太は先日まで修学旅行でヨーロッパへ行っていた。 二人はその事に思い当たり、すかさず礼を述べる。
「あっ、ありがとうございます!」
裕太には姉がいるせいか、案外そういう面では気の利いたことをする。 きっと今回も不二由美子の行き届いた教育がなせるワザだろう。 もっとも女子ウケするお土産が選べるかどうかは別の問題であるが。
「開けて良いですか?」
一応気を使って訊ねる早川を尻目に、巴は既にべりべりと開けていた。 出てきたのは木靴がモチーフらしいペンダント。
「わあ、可愛い!」
「あっ…私と巴、色違いなんですね」
巴が黄色で早川が赤。 裕太がいうにはあえて意識したことではないそうだが、 今年はオランダを中心に回ったのでこういう土産になったとか。 裕太から詳しく土産話でも…と思ったところで予鈴が聞こえた。
「ほら、話ならまたしてやるから早く行けよ」
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机の上に裕太の土産をおき、眺めながら巴は授業を受ける。 本来見つかれば没収になりかねないが つまらない授業に目の保養は必要だと自分は納得している。
そういえば去年は観月さんにデンマークのお土産を貰ったっけ。
まだ二人が付き合い出す前。 まだ二人が敵同士の学校で腹のさぐり合いで時間を費やしている時。 でも、お土産は本当に嬉しかったので未だに机の上に飾っている。 何となく照れくさいので観月には秘密にしているが、 きっとそれを観月が知ってしまったら彼もまた照れてしまうだろう。 まだ二人が付き合い出す前、まだお互いがお互いのためを考えていないとき。 でも、その時にはもう好きだった。
そういえば、あのときいつかデンマークに連れて行ってくれるっていってたっけ。 今考えてみるとアレってまさしく新婚旅行の話題だよねえ。
中学生の自分からすればまだまだ先の遠い未来のことのように感じる。 実際はあと2年ほどすれば観月共々結婚できる年齢の達するのだが それでもやはり遠い未来だ。 来年のことすら分からないと言うのに2年後まで想像することなど出来ない。 1年前にはまさか観月と付き合うことになろうとは巴自身思っていなかった。 自分の中では「好き」と「付き合う」とがイコールで結ぶことが出来るほど 恋愛方面に於いて成熟していなかったこともあるのだが。 人生何が起こるか分からない。
そういえば、好きな人にものを貰うって初めての経験だったなあ。
それに気づくと無性に嬉しさがこみ上げてきた。 そういう経験の相手が観月でよかったとも思った。 例えお土産でも、自分のことを考えて買ってきてくれたものだ。 胸が熱くなってくる。
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聖ルドルフ学院の創立記念日は、それを祝うかのように快晴だった。 創立記念日で学校は休みで、その日ばかりは部活もスクールもお休みだ。 寮にいる面々も部活から解放されて朝から居ないものが多かった。 巴も同じく朝から寮を出て、待ち合わせの場所へと急ぐ。 高等部も中等部と同じく学校は休校で、すなわち観月も休みだった。 休日同志の彼氏彼女、当然逢わない訳がない。
「すみませんっ!おまたせしました」
待ち合わせ時間にはまだ早かったが、当然のように観月は待っていた。 付き合う前は必ず早いということはなかったはずだが いつしか「彼女を一人で待たせるなんてとんでもない」と彼は思うようになっていた。 周囲からお母さんみたいと言われてしまうほどに心配性な彼は 巴が一人で待つことで引き起こされるトラブルについて幾つもシミュレートしていた。
「いいえ、まだ時間よりは早いですからね、問題ないですよ」
観月の姿を認めたとたん顔を真っ赤にして駆け寄ってくる巴の姿に 満足を覚えながらにこやかに答える観月。 自分に向かって駆け寄ってくる事一つすら愛おしく思える。 そんなことからも周囲から密かに「巴馬鹿」と呼ばれていることは知っているが それは否定しないし、否定したくない。 正面切って言われれば笑顔で「僻みですか?」と答えよう。 自分の彼女を可愛いと思わない方が人間的にどうかしているのだ。
まったく、出会って1年以上、付き合ってから半年以上も立つというのに まだ彼女を見るとドキドキして居るんですから、 ボクもおかしなものですよね…それも悪くありませんが。
高鳴る鼓動の心地よさに思わず目を細めつつ巴の隣に並び、歩き始める。 今日は久し振りの完全オフ。 門限という時間制限はあるものの、その制限はスクール帰りや 下校途中に待ち合わせて…などという普段よりは大分長い。 普段は目的地に真っ直ぐ直行するところであるが、 珍しくそのあたりをぶらぶら歩こうと言うことになっていた。 以前は無駄に時間を費やすことやアテの無い行動が嫌いであった観月だが、 巴と居るときに限ってはそんな時間も悪くないと思うようになっていた。 とにかく、彼女の隣にいることに既に意味があるのだ。
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そうして二人でぶらぶらとウィンドウショッピングなど楽しみつつ とりとめのない話などをしつつ午前中を楽しく過ごした。 健康的な巴がお腹が空いたと告げたので、 目についたレストラン数件の中から適当に選んで入ることにした。 観月は普段どんなときもリサーチする派なので 適当な飲食店に入るということも少ない。 なので、「巴くん、どこに入りましょうか?」と訊かれたとき、 少なからず巴は驚いたのだが、 それは自分がもたらした変化のだということに気付き、少し嬉しくなる。 気づくと、どんどんお互いのことを思い合う場面が増えていっている。 服を選ぶときも「自分がどう見えるか」でなく「相手が気に入ってくれるか」 話すときも「自分のこと」ではなく「相手のこと」 食べるものにしても「自分の好きなもの」ではなく「相手の好きなもの」を。 決して自分の考えを殺すのではない。 ただ、まず先に考えてしまうだけだ。 気づくと観月がどう考えるか、何を選ぶかを自然と分かるようになっている。 きっとそのことは観月も同じだろう。 いまも自分の入りたい店ではなく、巴に選択を委ねている。 そして相手をもっと理解して、そしてもっともっと好きになっていく。 これ以上好きになってしまったらどうすれば良いんだろう。
ただでさえ、頭の中は観月さんで一杯なのになあ。
この先の自分が怖くなって巴はこっそりため息を漏らす。 そんな巴の選んだレストランは、店頭のメニューにいろんな紅茶の名前が並ぶお店で 結局、観月を喜ばせる店だ。 「いい品揃えですね」と好奇心に顔を輝かせる観月に心をときめかす。
「━━━何にもチェックせず入ったお店でしたけど、良いですね」
ランチコースの最後の紅茶とデザートが出てきたところで嬉しそうに観月は言う。 コースの紅茶なのにちゃんとしたリーフの紅茶で満足そうだ。
「そうですね!今度また来ましょうね、観月さん」
デザートのケーキを一生懸命頬張りながら巴は答える。 観月が紅茶に満足なら、巴はデザートに満足していた。 デザートが運ばれてくると嬉しそうに目を輝かせた巴に 観月は自分のガトーショコラを半分、巴のティラミスの皿に取り分けた。 巴の目はさらに幸せの色に輝いた。 いいのかと観月に訊ねたところ、
「そんなキミの表情の方がボクにとってはデザートですから」
と、恥ずかしげも無く言われてしまった。
「あ、そうそう!」
一瞬つまってしまった雰囲気を打開しようと巴は口を開いた。
「私、観月さんに渡したいものがあって持ってきていたんですよ」
「渡したいもの?……なんでしょうか?」
観月にはなんの心あたりもなく、首をかしげる。 そんな彼に小さな袋を手渡す。
「これ…たいしたものじゃないんですけど、プレゼントなんです」
「プレゼントですか、今キミになにか貰う理由はないのですが?」
誕生日でもクリスマスでも巴が旅行に行っていたということもない。 別になにか特別なことがなけれな贈り物をしてはいけないという法はないが、 やはり疑問は残るところである。 もっとも、巴の考えなど正確につかめたことはほとんど無いのだが。 観月は巴に許可を求めて開封する。 中から出てきたのはシルバーチェーンの携帯ストラップ。 ムダのないシンプルなデザインだ。
「これは?」
「見ての通りですよ。ストラップです。━━━実は私とお揃いです」
そう言って、自らの携帯を取りだしてみせる。 確かにそこには彼の手にあるものと同じものが付けられていた。
「と、言うことはお揃いのものを付けるためにボクにくれたんですか?」
ペアのものが欲しいのなら二人で一緒に選んで買っても良かったのに、 実はそう思う心も観月には少しあった。 きっと、二人で選ぶ時間も楽しいものに違いなかったから。 しかしストラップは実に自分好みで、 これを選んでいるときの巴を思うとたまらない。 きっと自分のことが頭を占めているのだと思うと思わず抱きしめてしまいたくなる。 もっとも、このレストラン店内ではそんなこと出来るはずもないのだが。
「本当は今日じゃないけど去年初めてプレゼントを貰った記念日ですから!」
突拍子もないことを急に巴は口走る。
「初めて…プレゼントを…?ボクが?」
観月は不覚にも全く覚えがなかった。 こんな中途半端な時期、まだ付き合ってもいない女性にプレゼントなど贈るだろうか。 まさか、自分が? そんな思考が脳内を駆けめぐる。 確かにもう去年の今頃の時点では彼女が気になっていた。 自覚はある。 だからといって、いやだからこそ覚えのないプレゼントなどしないはずだ。
巴はそうやって頭を悩ましている観月を、ほほえましく眺めている。 うすうす気づいていたが、彼にとって土産など何のカウントにも入らないだろう。 きっとちゃんとした人への贈り物ともなると、気合いを入れるタイプだから。 ゆえに彼が覚えていなくても気にならない。 むしろ、今、この動揺が出まくりの状態が嬉しい。 他人にこんな表情を見せる人ではないと言うこともあるし、 悩むと言うことはこの人が自分に対して誠実だと言うことだからだ。
こういうときの観月さんって可愛いよねえ。
本人にはとても聞かせられないことを巴は思う。
「じゃあ、答えはあとでお話ししますから、とりあえずお店出ちゃいましょう?」
かなり考え込んでいるらしい様子の観月に声をかける。 このままでは日が暮れるまで悩んでしまいそうだ。
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また再び町中をうろつく。 相変わらずファッションビルを冷やかしたり、 街角でアイスクリームを食べたりしながら天気の良い昼下がりを過ごす。 先ほどの巴の発言を観月はまだ気にはしていたが 巴があとで話すといった手前、みずからその話題に触れるのは控えた。 細かいことにねちねち拘るのはみっともなく美しくないからだ。 巴も観月の真意には気づいていたが 焦らしてみるのも面白いと言わんばかりになにも話さなかった。 普段、賢く冷静な観月にジリジリさせられている方なのでお返しだ。
「あーっ!今日は楽しかったですねえ!」
「そうですね、普段こんなにのんびり買い物なんて出来ませんからね」
陽も傾きかけ、すっかり歩き疲れてしまった二人は 公園のベンチに座り休憩をとる。 無目的な買い物に出ることすら久しぶりだった巴は ここぞと言わんばかりに色々買い物をしてしまったため ごそごそと観月の右隣で荷物整理をはじめた。
「ところで、巴くん」
「はい?」
観月の言葉を聞きながらも荷物整理に熱中し返事も熱がこもらない。
「ボクは先ほどの件、考えたんですけどね」
「あっ、まだ考えてましたか」
悩んでるものに対して、やや無神経とも受け取れる返事をする巴に、 観月は多少の忍耐を試される。 無神経な彼女に対して心の広い彼氏を演じる、という忍耐を。 もっとも巴の前でこれまで心の狭い彼氏など演じたこともないのだが。
「さっきの答えですけどね、観月さんずっと気になってました?」
「そりゃあ、そうでしょう。“プレゼント”なんてしましたっけ? ━━━もし、それが本当なのだとしたら忘れてしまっていて申し訳ないですが」
巴の発言に耐えながらも、そこのところは本当にすまなく思っていたので その心情は素直に声へと滲み出る。 巴もそれを聞いてちょっと意地悪してしまったことを反省する。
「こっちこそ、意味深なことを言ってごめんなさい。 デンマークのお土産のことなんです。プレゼントとは言えないですよね。
あのとき、本当に嬉しかったものですから━━━つい」
「そうでしたか…!」
観月はしばし絶句する。 不覚にも巴があれをプレゼントにカウントしているとは思わなかった。 去年の10月上旬、たしかに物をあげた。それは覚えている。 彼女が嬉しそうな表情だったのも覚えている。 その時にたしか、今考えると相当赤面ものだが 勢いに乗ってついついプロポーズめいた発言をしてしまったのも覚えている。 その時の、記念日か。 思い出せばついつい笑みもこぼれる。 女子という生き物が記念日というものを作るのが好きだということは 知識として知ってはいたが、ここで実際に遭遇できるとは思わなかった。
「━━━っはははは、じゃあ、本当は必要なかったですかね?」
堪えきれなくなって、観月は吹き出してしまった。 そして、独り言めいたことを口にする。 巴は荷物整理の手を止めて不思議そうに観月を見ている。
「んふっ、いや、やっぱり必要ですね」
「はい?」
何が必要だったり必要じゃなかったりしたのだろうか。 巴にはさっぱり分からず困惑する。 観月は自分のすぐ横にある巴の手を取り、彼女を見つめる。 そして柔らかな声で言葉を紡ぐ。
「キミは…細かいことまで良く覚えてくれているんですね。 とても、嬉しいですよ。でも、去年のことは忘れてください。 ボク自身もカウントしてなかったですものし、 ただのお土産が記念日になってしまうなんてプライドが許しませんから」
「でも!嬉しかったことは本当で━━━」
忘れてくれとの発言に、ムキになって巴は言い返そうとするも それを鋭い観月の声が遮る。
「ですから━━━ですから、これが必要なんです」
観月の右手に握られていた巴の左手は軽く持ち上げられて さらに観月の左手が添えられる。 そしてごく自然に彼女の薬指になにかが滑り降りる。 それは巴自身ならば絶対選ばないような、いや選べないような 凝った華奢なデザインの指輪だった。
「初めてのプレゼントの記念日というのならば、これをもって記念日としてください」
突然のことであまりの驚きに巴は声が出ない。 いつ彼はこれを用意したというのだろうか、 トイレにいったり買い物に夢中になっているときに買ったりしたんだろうか。 いずれにしても嬉しいことには変わりないのだが。
「ボクとしては身に覚えのない、いや、ただのお土産が キミの記念日になってしまうなんて不本意で耐えられませんからね。 どうせキミの思い出となるのならばこっちの方がふさわしいでしょう?」
「観月さん…」
「これからボクが何度もキミに贈るであろう、 キミが一生その指に嵌め続けるだろうものの最初の一つを贈られた記念日の方が」
一旦言葉を切り巴の、その彼からの贈り物が嵌った指に優しく口づける。 そしてまた再び巴への言葉を続ける。
「最終的に“ここ”に嵌るのはダイヤですから━━━覚悟してくださいね」
END
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