……二十二時。 何か特別な事が無い限り、隊長はこの時間に見回りを開始する。 部屋を出て、まず隊員達の部屋がある廊下を一回りして書庫をのぞき、遊戯室、サロンを経てテラスへ出る。 「……あれ、どうしたんだいレニ? こんな時間に」 大体予測通りの時間にテラスに来て大体予想通りの言葉を吐いた隊長にレニは答えた。 「隊長を、待ってた」 「だいぶん暖かくなったとはいえまだまだ冬は冷えるよ。中で待っていてくれれば良かったのに」 言いながら、大神は手に持っていた明かりを消す。 テラスからはまだ暮れることない帝都の街明かりが輝いているのを見ることができる。ただ残念ながら、薄雲りなのと街明かりのせいで星空は余りよく見えない。 この夜景も、数ヶ月前には殆ど見ることができなかった。二年前にも壊滅状態になったというこの帝都は、やっと復興した途端にまた霊的災害に襲われたが、今再びもとの姿を取り戻しつつある。強い街だ。 「あと三日、だね」 「ああ、この帝都の夜景もしばらく見納めだ」 そう言ってテラスに手をかけて夜景に見入る大神の表情には寂しさよりも、未来への期待が勝っているようにも見える。 何も言わずレニもしばらく一緒に夜景を眺めていた。大神からは何も訊こうとはしない。 「…………」 「…………」 しばしの無言。しかし、珍しいことではない。 二人でいても会話はぽつり、ぽつりと話す程度だ。かといって気まずいわけでもなく、居心地はとてもいい。 やがて、レニがゆっくりと話し始めた。 「ボクは、ここに来ることができて本当に幸運だったと思う。 賢人機関に見つけだされ、星組に入って、そして日本の花組へ来て。 今まで幸せとか、不幸とか、そんな曖昧な物について考えたことはなかった。 自分にあるのは戦うこと、そして勝つこと。それが全てで。 だけど、いまこうしてここにいると…………」 劇中ではどんな長いセリフだろうと大丈夫だが、自分の言葉で長く話すのは得意でない。 「…ここに来るまでは、独りでもなんとも思わなかった。寂しいなんて感情は、感じたことがなかった。 だけど今は……。 花組のみんながいて、隊長がいて。それを失ってしまうのが怖い。 また以前に戻るだけなのかも知れないけれど、一度知ってしまった感情は、消すことができない……」 大神は、黙ってレニの髪に手を置いた。 大きく、暖かい手。 「……隊長、一緒に教会に行ったよね」 「ああ。劇場から出るといつのまにか雪が積もっていた」 「あの時、ボクはお祈りをしたんだ。 どうすればいいか分からないボクに、隊長は『感謝をささげればいい』って言ってくれた。 だから、ボクは花組のみんなに出会えたこと、……隊長に出会えたことを、感謝した」 何に感謝を捧げたのかは分からない。 それが一般の人が縋っている「神」なのかも知れない。 ただ分かっているのは、世界中の人に感謝を捧げたいほどの、胸が痛くなるほどの幸福感。 「行ってらっしゃい、隊長。 隊長が巴里の研修から帰ってきても、負けないようにボクもここで頑張っていく」 二十三時、予定より遅れて隊長がテラスを離れ、見回りの続きに向かう。 テラスの鍵を閉め、小さな明かりがホールを横切り、階段を下りて消えていくのを見届けた後、ボクも自室へ戻る。 別れの辛さは大きく心を捕らえて離さないけれど、あの時感じた感謝の気持ちだって今もまだ胸の中にある。 |