帝都の短い夜

〜李紅蘭〜




 少し、ためらいながら大神は扉をノックした。
 紅蘭の部屋。
 大神の巴里留学が決定してから紅蘭はまともに顔を合わせていない。
 会っても紅蘭はいつも以上に元気に明るく振舞っている。振舞おうとしている。
 が、残された日は数日。
 わかりきっているものに蓋をしたまま誤魔化していても何にもならない。
 そう思って大神は紅蘭の部屋に来た。

 ……少なくとも、彼は、そう思っていたのだ。


「はいな」
「大神だけど、紅蘭、ちょっといいかな」
「………」


 扉が開く。
「どないしたん? 大神はん。
 うち今ちょっと忙しいんやけど」
「少し、紅蘭と話をしたいと思って」

 大神の言葉に、紅蘭は少し何事か言おうとしていたがすぐにそれを飲みこんだ。
「わかった。ほな入って」


 相変わらずの乱雑な紅蘭の部屋。
 今日はまた特に散らかっている印象を受ける。
 いや、印象だけではない。
 床一面に機械の部品や設計図が散らばっている。そして、その中央にあるのは。


「あれ? …これ、キネマトロンじゃないか?」


 かつてはキネマトロンであったと思われる箱が鎮座していた。
 バラバラに分解され、今では機能を果たすことは出来ないと思われる。まあ、紅蘭ならば元に戻すことも朝飯前であろうが。

「そうや。今キネマトロンをパワーアップさせよ思ていじってるところやったんや」
「パワーアップ?」

 発明品のことを語る紅蘭はいつものように明るい。

「そうや! 今までのキネマトロンより機能を向上させて使用限界距離を上げるんや。
 ニューヨークまで届いたんやからもうちょい頑張ったらもっと遠く、……巴里にやって繋がる筈や」
「へえ、それはすごいな」
「そや。そう思てここんとこずっといじっとるんやけど……ちょっとの距離伸ばすんでもキネマトロンの全体に影響が出る。
 本体に負担をかけずに、性能だけ上げようっちゅうんはやっぱ難しいわ」


 大丈夫、きっとできるよ。
 そう言おうとして、大神は紅蘭が泣きそうな顔をしていることに気がついた。


「……紅蘭」
「……ほんまは、ほんまはこんなことせんでも、話せるんがええ。
 キネマトロンで話が出来ても、大神はんの顔が見えても、目の前にいるんとは違う。触る事もできへん。
 大神はんが風邪ひいても看病もできへん。……いやや」
「紅蘭」
「いやや、もううち残されるんはいやや。
 置いていかれんのはいやや。大神はん……!」


 堰が切れたように紅蘭は大神にしがみついて泣き出した。
 おそらく、ずっと胸に仕舞っていた本音を。
 何も、言うことは出来なかった。
 ただ紅蘭が泣き止むまでずっと大神はその背中を撫でつづけていた。




「……ごめんな、大神はん」

 数刻後、泣き止んだ紅蘭はゆっくりと大神から体を離した。
 笑う。無理にでも。

「ちょっと、気がゆるんでもうただけや。
 うちは、大丈夫や。さっき言うたんは忘れたって」

 それだけ言うと、大神を半ば無理矢理に部屋から出し、扉を閉めた。
 締められた扉の前で、大神は顔を伏せた。

 自分一人にしか聞こえないような小声で、そっと呟く。

「……ごめん」 


 出立の前日、大神の荷物に一つの大きな箱を見つけたかえでは怪訝そうに訊ねた。

「大神くん、これってキネマトロンじゃないの?
 さすがに巴里までは使えないわよ」

「さあ、それはやってみないとわかりませんよ?」


 -----HAPPY BIRTHDAY!------
あとがき

一年前、PCの不調によりアップできなかった幻の紅蘭SSです。
一年間も寝かしておいたわりには練れていません。トホホ。
しかしNYまで使えるのにどうして巴里だと「ありえない」んでしょうね。3をやっていたときの疑問です。

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