熱い息を、一つ、吐く。 久方ぶりに飲んだ酒は思いのほか効いているような気がする。 あまり酔うことも、ましてや翌日に酒気を持ち越すようなこともない大神であるが、若干不安になる。 花組の皆に注がれるままに飲んだのはまずかったかもしれない。 しかし、別れの杯である。 それぞれに別れの言葉を口にし、また表情に表している彼女たちに、もういい、と言えるようならば大神はもっと要領よく人生を歩んでいる。 「まあ、いいか……」 ゆっくりと部屋を見渡す。 明日には巴里に立つ身ではあるが、もともと私物が少ないので部屋の様子は普段とあまり変わり映えはしない。 ただ、大神の感慨があるだけだ。 が、突然の乱暴にガラスを叩く音によって大神の感慨は破れた。 この時間、しかも二階にある大神の部屋の窓を外から叩く人間などは一人しかいない。 少し、苦笑いを浮かべながら大神は窓に歩み寄る。 「加山、時間が時間だ、静かにしろ」 「つれないなぁ大神ぃ。惜別の宴に訪れた友に言う言葉はそれだけか?」 大神が開けた窓を乗り越えて入ってくる加山の手には一升瓶が握られている。 先程はこれで窓を叩いていたらしい。 「……まだ飲ませる気か? さすがに今日はもう遠慮したいぞ……」 「なにを言う大神! お前、花組の女性達からの杯は受けられても親友のこの俺の杯は受けられないというのか! 冷たい、それはあまりに冷たい仕打ちだぞ大神ぃっ!」 こぶしを握り締めてまくし立てる。 大神は観念した。 「わかった! 飲めばいいんだろう!」 「わかればいい。さあ飲め大神」 どっかと胡座をかくとこれまた持参したらしいぐい飲みに酒を注ぎ大神に渡す。 よく見ると、加山もすでに痛飲した後らしい。 普段から酔っ払っているような言動なので気がつかなかった。 「加山、お前すでに酔ってるな?」 「酔ってて悪いか! お前もしこたま飲んだ後のくせに」 だったら勧めるな、と思いつつも大神はすでに逆らう気力を無くしている。 杯を軽く干す。 再び酒で満たし、加山に返杯する。 「そういえば、こうしてお前と酒を酌み交わすのは初めてだな…」 「軍学校卒業以来、だ」 「……初めてじゃ、なかったっけ?」 「卒業の少し前に、寮の浴場で上官から拝借した酒を同期で干した」 そういえばそんな事をしていたような気もする。 「しかし、俺はあの時飲んでないぞ?」 「そーかそーか、お前は俺達同期と飲むよりもていげきのおじょうさんたちとのむほーがいいか」 「待て、俺が帝劇に着任する前の話だろうが!」 ……すでに、加山は酩酊している。 会話は支離滅裂だし呂律も怪しげになっている。 「加山、飲みすぎじゃないか?」 大神が気がついたときには遅かった。 気がつくと壁にもたれかかって加山はすでに寝息を立て始めている。 「こんなところで寝るな、加山! 加山!」 声をかけてもゆすっても、目を覚ます気配は無い。 話しながら酌み交わしているうちに一升瓶はすでに空だ。 同じだけ飲んで大神は素面であるというのは、大神が強いのか加山が事前に大量に飲んでいたのか。 「ったく、世話のやける奴だ……」 このまま加山を床に放置しておくのも何なので、自分のベッドに加山を寝かす。 いささか乱暴に加山を放り捨てると、反応はしたが、意識は遥か彼方にあるようだ。 「明日は船上の人となる友人に対する仕打ちかこれが。 何か言うことは無いのか?」 多少冗談めかして言う。 当然返答を期待しての言葉ではない。 が、その台詞に反応したかのように、加山の小さな声が聞こえた。 「……また、置いて行かれてしまうな……」 言葉が返ってくるとは思わなかったので驚いて大神が問い返す。 「加山? 起きているのか?」 ……が、やはり寝言だったようで、帰ってきたのは寝息だけだった。 やはり、と嘆息すると大神は椅子を窓辺に寄せ、腰をかけた。 再び窓を開く。今度は少しだけ。 顔にあたる夜風が心地よい。 「なにが『置いていかれる』だ……」 窓から見える帝都の夜景に向かって呟く。 この一年、いつも一段上で自分を導いていたくせに。 何もかも見透かしたように、偉そうに講釈をたれていたくせに。 自分よりも、ずっと先にいるくせに。 「今度こそ、追いついてやるよ」 皆に庇護されている、居心地のよすぎるこの場所から離れて。 今度こそ、必ず。 |