「ありがとうございました!」
見送りの言葉に軽く手を振り、最後の客が店を出る。
扉が閉まり、客の背中が見えなくなると、ライが大きく伸びをした。
「あー、今日もなんとか乗り切った! みんなお疲れさま!」
フロアで働いていた面々が椅子に座り込む。
連日繰り返される光景だ。
ミュランス効果でライの店の客は増える一方だ。
毎日昼夜にはフロアは戦場の様相を呈する。
閉店時には皆へとへとになってしまうのも無理はない。
「はい、お疲れさま」
「あ、ありがとう、エニシア」
テーブルの上にそっと置かれたティーカップを手にしてルシアンが礼を言う。
エニシアなんかは慣れない接客業で大変だろうが、表情にはおくびも見せずよく頑張っている。
こうして彼女が閉店後に温かいお茶を出してくれるのも恒例になった。
それはいい。
それはいいのだが、閉店後の恒例となってしまったものがもう一つ。
「まったく、なっていないな」
その声に、ライの表情が強ばった。
リシェル達はまた始まった、と視線を密かに交わし合う。
声の主は、エニシアの自称保護者、ギアンである。
ライの宿屋の手伝いをしているわけではないが、エニシアの送り迎えをしている関係もあり、開店前閉店後はこうして同席している。
そして閉店後のこの時間にひとくさりライをこき下ろすのだ。
「ちょっと、ギアン」
「今日はなんだよ」
「これだ」
エニシアの咎めるような呼びかけもお構いなしだ。
片手でひらひらと振っているのはここのメニューである。
本日の議題はこれらしい。
よくもまあ次から次へと問題点を見つけてくるものだとある意味感心する。
「メニュー? これに何の問題があるんだよ」
「これ自体に問題があるわけじゃないさ。問題は中身だ。
品数があまりに多すぎるとは思わないか? 昼など5品もあれば充分だろう」
「多くて悪いって事はないだろ。別に質が悪いワケじゃないんだから」
怪訝そうに言うライに、ギアンはやれやれ、といったように肩をすくめる。
このポーズが非常にライのカンに触るということを彼はよく知っている。
「そりゃあ質はいいんだろう。何せミュランスのお墨付きだ。
しかしこれだけの品数を用意して、調理するのはキミ一人だ。
毎日数組しか入れない高級レストランとはワケが違う、ここは一般大衆が押し寄せる。
店が混雑するのは繁盛しているのも勿論あるだろう、しかしこの多すぎる品数による厨房の滞りがその一因を担っていないと言い切れるのか?」
「……いや、でも、うちはずっとこれでやってきたし別に不満言われたことだってねえよ」
押され始めた。
「厨房までわざわざ不満を述べにくる客は少ないだろうさ。
しかし、待たされる客の相手をしているのはキミじゃない、エニシア達だ。
聞けばルシアンはもうじき軍学校に入るんだろう。さらに人手が減ってもやっていける自信はあるのか。
それとコストの問題もある。
品数が多ければそれだけ用意する食材も増える。それに伴って廃棄食材も増える。
キミは確かに雇われかもしれないが、仮にも経営を担っているんだ。利益率や回転率というものももう少し考えた方がいいんじゃないか?」
「な、う、あ……」
立て板に水の如く並べ立てられる正論。
何か言い返そうと口をぱくぱくとさせるも、言うべき言葉が見つからない。
確かに最年少でミュランスの星に輝いた名料理人かも知れないが、ライは同時にまだ15歳の少年である。
経営方面の話を持ち出されるとすこぶる弱い。
「……勝負あったわね」
リシェルのセリフを聞くまでもない。
「もう、ギアン、いい加減にして! ライに失礼でしょ!」
そして、エニシアの怒り声が出ると終盤である。
「エニシア、僕は別に嫌がらせで言っている訳じゃない。
何せキミが働いている場所だ。少しでもマイナス面を少なくしようと僕なりに助言をしているだけだよ」
そして最後にちくりとこう付け足すのも忘れない。
「もっとも、僕がキミに働くのを許可したのは宿屋であって、食堂ではなかった筈だけれどね」
「〜〜〜〜!」
「ギアン!」
ため息をつきながらエニシアが席に着く。
仮にも雇い主に対してこの言い様。
しかも、ライはギアンにとっての恩人ではないか。
そうは思うのだけれど、それは口にしてはいけない事だとエニシアにも分かるのでその言葉だけは口にしない。
複雑な感情を持て余すエニシアを見かねたように、ルシアンが苦笑交じりに口を開いた。
「あんまり気にする必要、ないと思うよ」
「え?」
「そうそう。ライだって本当に不快に思ってたら口出しなんてさせないわよ」
あれはギアンもライもそれなりに気を許してるからよ、とさらにリシェルが畳み掛ける。
横でルシアンが同意するように頷いている。
そうなんだろうか。
「それに、あんまりエニシアがライをかばってると火に油、って事になっちゃうかもしれないわよ」
「え?」
発言の意味が理解できずに聞き返したエニシアに、リシェルは口の端を吊り上げて笑っただけで説明はしてくれなかった。
「……ねえ、ライ」
「ん、エニシアどうかした?」
「ギアンがいつもゴメンね。私からも注意しておくから」
帰り間際にそっと言ってみると、ライは少し困ったような顔で笑った。
「大丈夫だよ。ギアンは間違った事は言ってないんだし、悔しいけど助かってる事も多い。
要するにアイツが何もいえないような完璧な宿屋にすればいいだけなんだしな。……まあ、それが大変なんだけど。
エニシアが心配するほどへこんでるわけじゃないよ、俺」
ああ、やっぱりリシェルやルシアンの言ったとおりだった。
二人とも、私よりもよくライを理解してる。
それは、付き合いが長いからなのかな。
エニシアはその事にほんの少し寂しさを覚えた。
そんなことは当たり前のことなのに。
思わずうつむいたエニシアの頭にぽんと手を置くと、ライは笑顔でこう言った。
「心配ないって。俺にはエニシアだってついてくれてるんだから。だろ?」
「うん!」
そんな他愛ない一言で寂しさはどこかに飛んでいってしまった。
うん、きっと大丈夫。
これからは私もずっと一緒なんだから。
ただ、姉弟が一方でこうも言っていることをエニシアは知らない。
「……あれって所謂嫁姑戦争みたいなもんよねえ」
「その言い方はどうかと思うけど、ほぼ同感」
「まだしばらくはあの保護者はエニシアを譲ってくれそうにはないわよねえ……ライも大変だわ」
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