「……また、貴方ですか」 少し辟易したようにいう御門にかまわず龍麻は部屋に腰を下ろした。 時計を見る。 午後8時。 友人の家を訪問するにしても少々遅すぎる。 ましてや。 「貴方、私の性別をお忘れになってやしませんか?」 「まさか」 御門の方を向くと、龍麻は少し皮肉な微笑を浮かべた。 「いくら常識はずれの長髪だからといってお前の性別を間違えるほど暈けてはいないつもりだ」 「…これは失敬。 お忘れになっているのは私ではなく貴方自身の性別でしたね」 いつもの軽い皮肉のつもりであった。 が、予想外に龍麻の表情が豹変した。 その反応に、言った御門の方が驚いて言葉をなくす。 「……知って、いたのか」 知られていないつもりだったのですか。 龍麻が顔をあげ、御門を凝視する。 いつもの余裕が感じられない表情。 落ち着かない。 「他の奴らには、……黙っていてくれ」 「話すつもりならとうの昔に話していますよ。別に話すほどのことではありませんし」 「そうか」 「……誰にも、話してはいらっしゃらない?」 「ああ。気づかれたのは御門、お前が初めてだ」 嘘だ。 いや、真実彼女は気がついていないだけかもしれない。 だけど。 だけど、彼は知っている。 知っていてなお、彼女を護っている。その全てで。 御門には珍しく、同じ言葉を繰り返した。 「話しませんよ。……ええ、誰にも」 それが数日前のことである。 以降も何もなかったかのように龍麻は御門の元を頻繁に訪れる。 よく訪れる割にはただお互い背を向けて自分の事をしているだけである。 「……よく、来ますね」 「ここにいると、気が楽だからな」 読みふけっている漫画雑誌から目も離さずに答える。 そんなもののなにが面白いのか、さっぱりわからない。 また、龍麻は反対に御門が使用しているパソコンを『見ているだけで頭痛がする』という。 「気が、楽ですか」 「ああ、楽だ。……何故だかわかるか?」 「逃げているのですか」 御門の簡潔な答えに、龍麻は喉の奥で笑う。 「相変わらず勘が良い。 確かに、ここにはお前のほかには誰もいない。僕に勝手な期待を抱く者も、憧憬を向けて来る者も。 それを逃げているといわれればそうだと答えるほかない。 けれど、理由はもうひとつある」 やっと、御門のほうに顔を向けると、いつもの皮肉な笑いを見せる。 「お前が、僕と同じだからだよ」 意味が飲み込めずにいると、それを察したのか龍麻はそのまま言葉を続ける。 「嘘吐きの、卑怯者。 お前だけは本当のところは東京などどうなってもいいとどこかで考えている。 共に行動をしているのはただ利害関係が一致しているからにすぎない。 僕だってそうだ。 そもそもこの街は僕にとって故郷でもなんでもない。 そんな街を何故僕が命をかけて護るなどと信じられるのか……始末におえないお人良したちだ」 はき捨てるようにそう呟く。 「……成る程」 卑怯かどうかは知らないが、確かに、嘘吐きだ。 愛着のない『東京』という街ではなくその『始末におえないお人良したち』の為に、自分は命を賭けて戦っているということをどうあっても表には出したくないらしい。 会話は、そこで終わった。 あとはいつもどおりの時間がそこに流れる。 いつものように。何事もなかったかのように。 唐突に会話が終了するのはこの二人には良くあることだ。 御門はそっと自分と龍麻の間の距離を目で推し量る。 手を伸ばせば、自分は容易に彼女の髪に触れることが出来る。 龍麻の言うとおり、自分もまた嘘吐きの卑怯者。そして、臆病者だ。 目に見えぬこの境界線を越えることが出来ないでいる。 それによって発生するかもしれないリスクを恐れて。 いつか私は、この境界線を越えることが出来るのだろうか。 そして、それを成す事が出来たなら、そこには何が待っているのだろう。 私は、まだ、見ることが出来ない。 境界線の、その向こうを。 〜了〜 戻る |