多分、俺と醍醐が羽交い締めにしていなければ、ひーちゃんは炎の中へ躊躇なく飛びこんでたんじゃないかと思う。 「ひーちゃん、もう、無理だ!」 「放せ、放せ……っ!」 それでも、全力で抵抗しながら、ひーちゃんは必死で腕を炎のほうへ伸ばそうとしていた。 崩れる研究所で、姿を消した、あの兄妹の方へ。 紗夜ちゃんの方へ。 俺達がやっとのことで研究所を出ると、それを待っていたかのようにボロかった建物は倒壊した。 強大な炎が、全てを飲みこんだ。 あの兄妹の存在も、過去も、罪も。その全てを。 「ここはまずい。 人がくる前にここを離れたほうがいいな」 「……ああ。 ひーちゃん、大丈夫か?」 大丈夫なはずがない。 しかし、虚ろな目でそれでも龍麻はふらりと立ち上がると皆に付き従った。 新宿中央公園。 「ここまでくれば、大丈夫かなぁ」 「そうね。……龍麻?」 葵の声に京一が振りかえる。龍麻はその場に座り込んでいた。 いや、へたり込んでいたと言うほうが正解かもしれない。 力なく地面に手をついていたかと思うと、その手を強く握り締めた。 傍目にもハッキリとわかるほど、強く。 俯いた顔は表情がわからなかったが、すぐに地面に水滴が落ちていくのが見えた。 「畜生、畜生。畜生……!」 搾り出すような声をあげ、龍麻はそのまま泣き崩れた。 誰にすがりつくこともせず。 ただ、一人、地面に拳を叩きつけて。 こんな風に泣く龍麻を、誰も想像しなかった。 感情を爆発させるのさえ、初めて見た。 ……誰も、何も言わなかった。何も、言えなかった。 それから数日。 「ちょっと、京一!」 声を潜めて声をかける小蒔に、居眠りしかけていた京一はひどくだるそうに瞳を開いた。 「なんだよ。人の安眠タイムに」 当然ながらと言うかなんと言うか、授業中である。 しかしこれはいつものことなので小蒔も特に言及しない。 「なんとかしてあげてよ!」 「何をだ?」 「ひーちゃんの事に決まってるじゃないか!」 言われて、京一は横目でちらりと龍麻の席を見た。 龍麻は真面目に授業を受けている。……ように、見える。 そうではないことは、京一も良く知っている。 あれから、ずっと、龍麻は抜け殻のようである。 何をしていても、何を話していても、上の空。 心は遠く何処かをさまよっていると言った感じである。 「なんとかってぇ言われてもな…お前がなんとかしろよ」 「出来たら、もうとっくにしてるよ!」 小蒔は小蒔で、あれから積極的に龍麻に話し掛けたり、励ましたりと色々とやっていたのだが、効果は芳しくなかった。 葵も、醍醐も同様である。 が、京一だけは、あれ以来殆ど龍麻と言葉を交わしていないのだ。 日頃あんなに仲が良かったのに冷たい、と言いたいのである。 「そう言われてもなぁ。 大体こういうことは周りで何言ってもしょうがないんじゃねぇの?」 「そういう事はやってみてから言ったって遅くないじゃないか!」 思わず激昂して小蒔が声を荒げる。 同時に、犬神の目にとまり、小蒔はそのまま廊下へと移動する羽目になった。 小蒔がいなくなった後、京一は再び同じ言葉を繰り返した。 「……そう言われてもなぁ……」 同日昼休み。 重い金属製の扉を開く音に、龍麻は一瞬振りかえったが、すぐに目線を元に戻した。 教室にいないからおそらくここ、屋上だろうと思った京一の予測は当たった。 無言で龍麻の傍らに座り込むと、学食で買ったパンを食べる。 龍麻も無言で自分の弁当を食べている。 沈黙。 居心地が、悪い。 はっきりいってこういう雰囲気は大の苦手だ。 ひーちゃんと一緒にいてこんな気分になることもあるんだなぁ、などと他人事の様に考える。 と、ぽつり、と龍麻が口を開いた。 「看護婦になりたいって、そう言ってたんだ」 「紗夜ちゃん、か?」 「看護婦でもなんでも、これからいろんなものになれるはずだったんだ。 なんだってできる、筈だったんだ」 あれから、紗夜のことを初めて聞いた。 いままで誰も口にしなかったから。 「……そっか」 それしか、言えなかった。 「あの時彼女にかばってもらってなかったら、僕はここにはいなかった。 それなのに、今、僕はここにいる。 彼女の命を犠牲にして、制服を着て、学校に来て、弁当を食って。 ……友人に囲まれて」 「当たり前じゃねぇか」 「どうして!」 龍麻が京一に向き直った。 つかみ掛からんばかりの勢いで京一にまくしたてる。 「僕と紗夜と、何の違いもなかった。 紙一重の違いで、彼女は僕を救って、死んだ。 彼女はもう何も成すことは出来ないのに、僕はのうのうとここにいる。 ……僕は、僕は……」 後半は何を言っていいのか自分でもわかりかねている感じだった。 京一は、やはり何を言ったらいいのか、何をしたらいいのかわかりかねていたが、やがてためらいがちに手を伸ばして龍麻の頭をなでた。 「だからさ、当たり前でいいんじゃねぇの? 紗夜ちゃんだって、別に何かしてもらいたくてお前を庇ったんじゃないだろうし。 普通に学校に言ってこうやって弁当食ってたって、そりゃ別に罪じゃねぇよ」 それよりも、こうやって思い悩むことのほうが問題だろう、と思いはしたが、さすがに無神経だと思ったので口には出さなかった。 「ひーちゃんのダチは、紗夜ちゃんだけじゃないんだぜ? 元気にならなくてもいいから、泣いててもいいから……」 もう少し、頼ってくれよ。 そう、聞こえるか聞こえないかの声で呟くと、ゆっくりと京一は立ち上がった。 空が青い。 もう、夏がくる。 失ったものは、もう、戻らない。 ならばせめて、今手の中にあるものだけは。 |