「おい、俺の名前は蓬莱寺京梧だ。忘れんじゃねえぞ!」 その言葉を聞いた瞬間、何かが見えたような気がしたが、泡沫のように一瞬でそれは消え去った。 立ち去りながら、後ろを振り返ることなく九桐は龍斗に言った。 「覚えておけ、師匠。……あれが、龍閃組だ」 「あれが……。うっ」 顔をゆがめ、右手を顔にやる。 「どうした、師匠?」 「いや、只の頭痛だ」 一瞬目の前が真紅に染まったような気がしたが、それは口には出さなかった。 「龍閃組……蓬莱寺、京梧……」 何だろう、この奇妙な気分は? 柳生の姿を見た時に、再び龍斗は目の前が朱に染まる錯覚に出会った。 いや、違う。 これは『記憶の再現』だ。 九角のそれとは違う、似て非なる禍々しい赤い髪。 その髪をさらに赤く染めるように、鮮血を浴びながら立つその姿。 信じられないほどの量の血を流して倒れる、……京梧の姿。 そうだ、死んでしまったはずだ。 自分の口から発されているとは思えないほどの悲鳴を上げたことを覚えている。 その後、自分はどうなった? いや、それよりも。 いま何故彼が屋根の上にいる? 「いよぉっ! ひーちゃん、久しぶり! 会いたかったぜ!」 そんなことをいいながら地面に飛び降りた京梧はそのまま龍斗に飛びつくとその髪を乱暴になで上げた。 まだ、龍斗は現状が把握できずに茫然自失としている。 「……あれ? ひょっとしてひーちゃん……何も覚えてねぇのか?」 「どうして……どうして? あの時確かに京梧は……」 そこまで口に出した時に初めてその理由に思い当たった。 振り返るとそこに立つ彼女。 「比良坂……君か」 彼女はただにっこりと、微笑みを返す。 「…………ありがとう」 「あなた達の宿星の絆がまだ断ち切られていなかったと言うことです。私はただ、ほんの少し手を貸しただけ」 軽く首を横に振りながら、そんなことを言う。 「それでも……ありがとう」 まずい。 外は闇に包まれて、時諏佐先生は固まってしまって。 今までで最悪の、絶体絶命の状態なのに。 一番気を引き締めなければいけないときなのに。 顔がゆるんでしまう。 絶対大丈夫だって根拠のない自身が自分の中に満ちているのを感じる。 京梧が、失われてしまったと思っていた絶対の存在が目の前にあるだけで。 「けっ。あんな奴がいいのかよ。たんたんも趣味が悪いぜ」 「なんだ、風祭。ヤキモチか?」 「誰がっ!」 怒りの表情を向ける風祭だが九桐はどこ吹く風である。 「だがな、風祭。俺は師匠のあんな顔は今までに見たことがなかった。 あんな表情を師匠にさせることが出来る、それだけで、師匠にとっては価値のある男なんだろう」 「……ふーん? わっかんねぇなぁ……」 自分には、させることが出来なかった、あの幸せそうな表情。 「……なあ、京梧」 「なんだ?」 「何故お主先刻わざわざあんな事を言ったのだ?」 「いや、なんか忘れられているような気がしたからよ」 「えっ? 京梧クン、さっきの龍斗って人と知り合いだったの?」 「…………あれ? いや、初対面のはずだが……」 少し首を傾げて考え込む。 答は出ない。 「なんだか知らねぇけど、忘れられちゃいけねぇって、そう思ったんだよ」 だから、きっと、大丈夫。 〜終〜 |