「クリス」 桜の樹を見上げるクリスの姿を認めて、龍斗はそっと声をかけた。 「ああ、龍斗。 ……桜の樹を見ていたんだ」 樹齢何年になるのだろう。 大きな桜の樹には白く煙って見えるほどに花が開いている。 花よりも少し色の濃い葉がこれからの春の訪れを示しているかのようだ。 あと二、三日もすればこの花もあっという間に散ってしまう。 その儚さが民衆に愛されているのだろうか。 「この国で見る桜も……これが最後だと思うと、いろいろと感じるものがあるね」 「……え」 突然の言葉に、龍斗は桜から目を離し、クリスの方を向いた。 クリスも、少し寂しそうに龍斗に微笑みかける。 「国に、帰ろうと思うんだ。ある人を連れて。 俺のいるべき場所は、この国ではない。 ……龍斗にも、もう会えないね……」 クリスの顔を凝視する。 もう、止められない。 彼は本気だ。目を見れば分かる。ずっと見てきたから知っている。ずっと、彼は決断の時だけを待っていたのを。 つい、と、目をそらしたのは龍斗の方だった。 「そうか……。 向こうも大変だと思うけど、頑張ってくれ」 「ああ」 「決して、無駄死にはしないと、誓ってくれ」 「ああ、誓うよ」 「ほのかのことも……宜しく頼む」 「ああ、全身全霊で、今度こそ、大切な人を守り抜いて見せるよ」 それきり、もう何も言わない。 クリスのことも見ない。 ただ、ひたすらに桜だけを見つめつづけた。 何か言えば、引き留めてしまう。 顔を見れば、泣いてしまう。 泣いてすがって、クリスを困らせてしまう。 結果が分かりきっているのなら、傷つくのは自分だけでいい。 「それじゃあ」 クリスが立ち去ってしまった後も、同じ姿勢で龍斗は桜を見つめていた。 やがて、そっと懐から一組の数珠を取り出す。 「渡さなくても、良かったのか?」 突然、聞こえた声に驚いて龍斗は振り返った。 そこにいたのは。 「奈涸、聞いていたのか」 「たまたま偶然此処に居合わせただけだ」 龍斗の横に来て、腰掛ける。 「……こんなものを渡してしまえば、此処に戻れと言っているようで……、渡せなかった」 一対の数珠。 片方ずつ持ちあえば、離れてもいつか巡り会える。 「せっかく円空殿がくれたけれど、無駄になってしまったな」 数珠を見つめ、苦く笑う。 何に対して笑っているのか。 何も気付くことの無かった想い人をか、甘い幻想を見た自分にか。 奈涸は笑うことなく、龍斗を見つめていた。 やがて、ぽつりとつぶやく。 「よければその数珠、俺にくれないか?」 きょとん、と龍斗は奈涸の方を見る。 「……売るのか?」 その言葉に少し奈涸は苦笑する。 「まさか。 ただ、俺は、俺はこれからも君と一緒にいたいと、そう思ったから」 〜終〜 戻る |