夜明けだ。 我ながらいつも目が覚める時刻はまちまちである。 もう一度寝直す気にもなれず、顔を洗うべく廊下に出て歩いていく。 すると、ある部屋の一室から一人の娘が出てくるのが見えた。 いつも館で身の回りの世話をしてくれている娘の一人だ。 少し憂いを顔に浮かべている。 桔梗がそこにいることに気が付くと、娘の顔は気の毒なくらい真っ赤に染まった。 この刻限には誰も現れないと思っていたのだろう。 慌ててその場を走り去っていく。 少し乱れた髪、急いで羽織ったとしか思えない着物。 他人の色恋沙汰に首を突っ込むほど野暮なことはない。 だが。 思いきりよく襖を開ける。 「……誰だ」 布団にうつ伏せになって寝ている。 最近自分が連れてきてしまった争乱の種。 「これで何人目だい?」 声を聴いてやっと薄目を開け、桔梗を視線にとらえる。 のろのろと起きあがると、指折り数える。 「ひいふうみいよ……。そんなことを訊くために俺の安眠を妨害したのか」 「あんたの安眠なんかどうでもいいよ。 応えてやるつもりが無いのなら中途半端に気を向けるのは止めてあげておくれ」 「ふああ……あっ、と……。 俺から誘いかけているわけじゃない」 それは分かっている。 彼女たちがただ龍斗に惹かれているだけのことだ。 「気がないのなら気がないなりの対応をしてやっとくれ、と言ってるんだよ。 むやみに期待だけさせて裏切られるあの子達が可哀想だ」 「あの子達、か……。大事に想っているのだな」 「あの子達だけじゃないさ、この鬼哭村の人はみんな、あたしにとって大事な家族だよ」 軽く笑われる。 「家族……か。さしずめ長女といったところか?」 思わず目を見開く。 深い意味があるはずはない。 彼が、知っているはずもない。 「失礼なことをお言いでないよ」 「これは、失礼。 ……そうだな、この村は、九角を中心として、皆が信頼しあっている。 ある意味実に希有な理想郷だ」 「ああ、此処は大事な場所だよ」 「だが、ここで九角を始末してしまえばこの村はどうなっていくのか、そんな興味もある」 桔梗は息を呑んだ。 不穏な目。 あっさりと放たれた言葉は刃のように胸を刺した。 「あんた……何者だい?」 「さあ、あんたの同類かも知れないな。俺にも知らないものは応えようがない」 「どうして……この村に、ついてきたんだい」 龍斗がくすり、と笑う。 「自分たちで勝手に連れてきて、あげく裏切れば始末するなどといって置いて。……笑わせる」 「目的は、なんなんだい」 「質問ばかりだな」 やがて、龍斗はゆっくりと笑いをおさめた。 真面目な表情になる。 「……興味を引かれたからかも知れない。 信念と理想とを振りかざして、果たしてこのくだらない人の世に価値を与えることが出来るのか」 腐りきった社会。 澱んだ世界。 ……人、の世。 「くだらない、か。 じゃあ何であんたは、そんな縋るような目をしているんだい?」 彼を連れてきたのはそれが理由だ。 不穏で冷酷で残虐な表情の奥に見える、裏の感情。 親を求める迷い子のように、 ずっとなにかを探し続けているような、その瞳。 絶望しきっているのでも、破壊を楽しむのとも、微妙に違うその瞳。 自分はそれを信じたからこそ彼を連れてきたのだ。 信じたのは、彼ではなく自分自身。 自覚はなかったのだろうか。 龍斗は少し動揺した様子を見せた。 「そんな様子を、していたかな。……やはり、侮れない女だ」 「あたしだけじゃないさ。 あの子達だって、きっと、そこに惹かれてあんたの所に来るんだろう。 ……自覚はないにしろ、ね」 言いたいことは全て言った。 これ以上此処にいることの危険を冒すわけにはいかない。 再び襖を開いて出ていこうとする桔梗に、背後から声がかかった。 「あんたが信じている、人の信念を、未来を、早く俺に見せてくれ。 ……俺が全てに飽いて破滅へと動き出さないように」 〜終〜 戻る |