「やっほー。葵いる?」 一時間目と二時間目の間の休み時間。 教室に顔を覗かせたのは杏子だった。 「葵なら先生によばれて職員室に行ったよ。……何か用?」 「あっちゃ〜。いやね、古語辞典借りに来たんだけど、勝手に持ってっちゃまずいわよね」 「今日はうちのクラス古典の授業無いんだよねぇ」 「あ、僕のを貸そうか? 確か鞄に入れっぱなしだったと思うから」 「本当? ありがとう、やっぱ龍麻君は頼りになるわ〜」 「ちょっと待ってて。取って来るから」 その場を離れて自分の席に向かう龍麻。 ここまでは、いつも通りのよくある日常風景であった。 「辞書みてぇな重たいもん、なんで鞄に入れっぱなしかなぁ、ひーちゃんは」 「出し入れすると忘れるんだよ」 そう言いながら鞄を開ける龍麻。その鞄の中、とある一点に京一の目は釘付けになった。 今、チラリとみえたあれは……。 臙脂色の玉虫様に光る上質の紙でラッピングされた小さな箱。細いリボンまであしらってある。 そして、今日は2月14日。 考えるまでもない。中身はチョコレートであろう。 ハッキリ言ってひーちゃんは男女問わずもてる。チョコレートだってそりゃあ貰っているだろう。 しかし、それらの貰い物のチョコレートは鞄とは別に紙袋に入れて机の横に置いてある。 じゃあ、ひとつだけ鞄に入ったあのチョコレートは彼女が用意した物なのだろうか。 …………しかし、誰に? 「はい。アン子」 「サンキュー。じゃあねっ!」 「ひ、ひーちゃん!」 「なんだ? 京一」 「チョ……いや、その」 単刀直入に聞くのはさすがに憚られる。 「今日、放課後ラーメンでも食べにいかねぇか?」 龍麻の目が半眼になる。 「……京一、昼飯も食べてないのに……」 「いーじゃねぇかよ別に」 「それに、悪いが今日は先約があるんだ。また次の機会にしてくれないか」 「えっ! やっぱり! だ、誰に会うんだひーちゃん!」 いきなりの京一の剣幕。ちょっと引いちゃう龍麻。 「今日は放課後紫暮と手合いの約束をしている」 「しぐれぇ?」 「そう。その後コスモが今度の縁日の出演の打ち合わせだって言ってたからそっちに」 「……そ、そうだよな、やっぱ紫暮ってことはないか。(←失礼) コスモ、ということは紅井か黒崎か……黒崎が怪しいな」 性格には難ありだがあの容姿である。 「……? 桃香が『ほとんど全員集合』って喜んでたから雨紋とアラン、劉も来るみたいだけど」 蛇足ながら雨紋はゴールド、アランはブルー、劉がイエローで龍麻はグリーンと(コスモ達によって)かってに分類されている。 「なにぃっ! ますます分からなくなってきたぜ……」 「打ち合わせの後はいつもの奴らに麻雀に誘われてるし」 麻雀仲間は如月、壬生、村雨の3人である。 「まだ会うのかよ!」 「……人の勝手だろ」 この3人は怪しい。ものすごく本命臭い。 「……それで全部か? ひーちゃん」 「う〜ん。御門にも『マサキに会いに来てくれ』って誘われたけどこれだけ予定が詰まってるとな。……ああ、そうそう」 ポン、と手を打つ龍麻。 「さやかちゃんが新曲のデモテープを持ってきてくれるっていってた。でも多分時間が合わないだろうから霧島が持って来てくれるんじゃないかな」 「……それじゃ全員じゃねぇか……」 「うん。今日に限ってみんなが予定を入れてきて」 その真意にまるっきり龍麻は気が付いていない。 「ところでなんでそんなに僕の予定を知りたがるんだ? 様子が変だぞ」 「うっ。……それは……」 「龍麻。行くぞ」 「ああ、そうだね。ありがとう醍醐」 醍醐に促され席を立つ龍麻。 「だ、醍醐なのか?」 「何を言っているのか知らんが俺達は次の生物の授業準備の手伝いを頼まれてるんでな」 「生物……てことは犬神か!」 「……京一」 静かな龍麻の声に我に返る京一。 「さっきから何を訳の分からないこと言っているのか知らないけど、いい加減にしないと……」 言いながらすでに腕は黄龍の構えに入っている。 「……じゃあなっ!」 三十六計逃げるにしかず。 「……で、なんで僕まで巻き込むんですか京一先輩」 「頼めそうなヤツがお前しか思い付かなかった」 放課後。 場所は鎧扇寺の空手部道場そば。現在龍麻と紫暮が手合いの真っ最中である。 「龍麻先輩が誰にチョコあげたっていいじゃないですか」 「バカ言え! ひーちゃんが変な男にたぶらかされてるかも知れないだろ!」 建前建前。 「先輩……自分でもちょっと格好悪いって思いませんか……?」 「思わん!」 それでも京一に絶対服従の霧島(笑)。 「……やっぱり紫暮はシロだったか。次はコスモの奴らだな」 「龍麻先輩にテープ渡さなきゃいけないんだけどなぁ……」 「そうだ! てめぇさやかちゃんの新曲、なんで俺には回さねぇんだよ!」 「痛い痛い! だってこれはさやかちゃんに頼まれて……」 「うるせぇ! 問答無用!」 これを世間では八つ当たりという。霧島哀れ。 「あっ、グリーン! おそいおそい〜!」 「ごめん、ちょっと予定が立て込んでて」 「悪は待ってはくれないぞグリーン!」 所変わって今度は一軒のファーストフード店に入る龍麻。 すでに他のメンツは全員集まって待っていた。 「うわ〜、本当に全員揃ってやがるぜ」 「……あの、先輩。僕は入っていませんが……別にいいけど」 「なに? お前も入れられてんのか」 「はい……」 ちなみに霧島はコスモホワイト。 「あ、そうそう忘れないうちに龍麻にもっ! はい、バレンタインのチョコレート。いっぱい貰ってるだろうけど、私のも一つ混ぜて置いてよ」 そういうと、桃香は一つ小さなチョコレートの包みを龍麻に渡す。 「ああ、ありがとう、桃香」 笑顔でそれを受け取ると、大量にチョコレートの入っている紙袋の方ではなく、鞄にそれをしまった。 鞄を開けたことで京一に緊張が走るが、龍麻はチョコを鞄に収めただけで初めから入っていた包みを取り出すことはなかった。 「……コスモも違うか……。じゃあやっぱりあいつらが怪しいな……」 「先輩……いつまで続けるんですか……?」 打ち合わせも終わり、また独り歩き出す龍麻。 それを追いかける京一。溜息をつきつつもそれに従う霧島。 少し、人気の無くなったところで、龍麻は不意に立ち止まった。 「京一。……それと、この気は霧島か。そろそろ出てきたらどうだ?」 「……げ」 物陰に隠れているつもりであったが、今、はっきりと龍麻は京一達の居る方向を見据えている。 しかも、目が、座っている。 「見つかってましたよ、京一先輩」 「馬鹿野郎んなこたぁわかってるっ!」 「何の目的だ?」 冷静で静かな声が、怖い。 「京一?」 「…………」 京一が口を開く気がない事を感じ取った龍麻は、矛先を転じた。 「話してくれるな? 霧島」 逡巡。 京一につくか、龍麻につくか。 「京一先輩が、龍麻先輩がチョコレートを持ってたから誰にあげるのか調べるから、と」 「あーっ! 霧島てめぇ裏切ったなっ!」 「だって、京一先輩、どう考えても先輩の方に理がないですよ」 霧島につかみかかる京一を留めたのは、龍麻の手だった。 「……京一、お前はそんなくだらないことの為に、今日一日僕をつけ回していたのか?」 「くだらなくなんかねぇってっ!」 反論しようとした京一だったが、満面の笑みを顔に浮かべた龍麻はそれを許さなかった。 「問答無用。……秘拳・黄龍!」 「……まったく、一体何時目にしたのやら」 そう言って苦笑すると、龍麻は鞄の中から件の包みを取り出した。 それをみて、不意に霧島は得心する。 「さっき桃香さんから貰ったチョコレートも鞄の中にしまっていましたよね。 と、いうことはそれも誰か知り合いから貰ったんですか?」 さすがに聡い。 龍麻は少し微笑んだ。 「ご名答。葵に貰った。 京一も見つけたときにすぐに訊いてくればこんな目には遭わなかったのにな」 ちなみに、そのご当人は手加減無しに技を食らってその場に伸びている。 いや、訊けないだろう、そう思いながらも霧島は黙っている。 「霧島も、この馬鹿につきあわされて大変だったな。……ちょっと待ってて」 そう言って霧島を待たせるとしばらく後、龍麻は姿を現すと缶飲料を霧島に投げ渡した。 「僕の奢りだ。今日は、ご苦労様」 「いえ、ご苦労だったのは、龍麻先輩でしょう?」 「僕は、まだ予定が残っているからね。それじゃ」 それだけ言うと、龍麻はまた去っていった。 残った霧島は、龍麻に貰った缶飲料を飲んで、人心地つく。 温かいココアが疲れを癒してくれる。 確かに、今日は少し、疲れた。 「それにしても龍麻先輩も、鈍いなぁ……」 〜Fin〜 |