第三話 白蛇抄




 龍泉寺に戻った龍斗達を出迎えたのは時諏佐と藍、そして見知らぬ少女だった。

「で、どうだったんだい?」

 時諏佐の言葉に、雄慶は黙って首を振る。
 どうやら時諏佐からの頼まれ事は上手くいったわけではないらしい。
 しかし、それも予測済みだったらしく時諏佐の反応は淡白だった。

「まあ、仕方がないね。
 元々一筋縄で行くとは思っちゃいない……。
 それはさておき。紹介するよ。
 龍泉組の新しい仲間だ。桜井道場の娘で、小鈴。美里とは元々知り合いらしいね」

 小鈴、と呼ばれた娘が軽く会釈する。
 短い髪の活発そうな娘だ。

「なんだよ、餓鬼じゃねぇか」

 そう言った京梧に無言で近づくと鳩尾に一発食らわせた。
 突然の攻撃にまともに食らってしまった京梧の前に仁王立ちになる。

「なんだよ。初対面だから大人しくしようと思ってたのに。
 失礼しちゃうな」
「て…てめぇ……」

「……ここは寺小屋か?」


 龍斗の嫌味を時諏佐は軽く流した。

「ははは。緋勇も上手いことを言うね。
 さて、顔見せも済んだし、本題だ」


 顔つきが志士のそれになる。


「今日、美里が小石川療養所の手伝いに行って来て聞いてきたんだけどね。
 …どうかしたのかい?」

 小石川療養所。
 龍斗と京梧が顔を見合わせる。

「…百合ちゃん、まさかそれってあっちで蛇の鱗が生えてくる病が流行っててその患者が鬼を見たって行ってるとかその近所の屋敷で昔…なんだったかな、龍斗?」
「蛇の物の怪を殺した祟り」
「そう、それだ。それがあるとか、そういう話じゃないだろうな?」

 時諏佐と藍が驚いたように目を見開く。

「その通りだよ。良く知ってるねぇ」
「俺達も町でそういう話を聞いたんだよ」
「なら話は早い。
 その屋敷とやらを調べてきておくれ」
「どこにあるかもわからないような、そもそも本当に存在するかもよくわからん場所を?」
「場所は大体の当たりがついている。
 全てがはっきりしているんだったらうちの管轄じゃあないさ。行っておいで」



「泥棒まがいの行為を強要するとは、公儀隠密も大したものだな……」
「緋勇、不敬をいうな」

 四人は小石川に集まっていた。
 時は既に夕暮れすぎ。逢魔が刻である。
 件の屋敷は存外すぐに見つかった。
 すでに噂は広がっているのだろう。屋敷の周囲に人の影はない。

「これは……」
「成る程な。こりゃ確かに昼間とはまるで別物だぜ、龍斗」

 屋敷に近づくごとに濃くなる気。
 今度は京梧や雄慶にもはっきりと理解できた。
 判らないものには判らない。
 現に、藍はともかく共にいる小鈴は気の違いなど全く感じないらしい。


 忍び込める場所を探して入りこむ。
 この時点で見つかったら即お縄である。
 人の気配を察して身を隠そうにもこの陰気の中ではそれもままならない。
 もっとも、それは相手にとっても同じであるのかもしれないが。

 入った一室は、人はいなかったが、灯りがともされていた。
 蝋燭の微かな明かりの中目を凝らすと、そこにあったのは祭壇であった。
 香の煙が当たりに充満しており、一瞬呼吸を止めて窺ったが、どうやら単純に祭壇のための香らしい。
 供え物らしき品がいくつか置いてある。

「これ、酒だぜ。
 しかもかなり上等だな……もったいねぇ」
「こっちは何かの肉みたいだね。気持ち悪いなぁ」

 供え物を検分しつつ、京梧と小鈴が勝手なことをそれぞれに述べている。
 藍は、祭壇の中央に備えられている像を見て息を呑んだ。
 一見観音像に見えるような隠しのものではない、完全なるマリア像。
 と、いうことはこの祭壇は……。



「祭壇に、手を触れないでください」


 その時、背後から静かな声がかけられた。
 振り向くと、そこにいたのは一人の若い男だった。
 暗くて良く判別がつかないが、白に近い明るい色の髪をしている。しかし、顔つきは異人のそれではない。
 それより何より目を引いたのは。彼の装束であった。
 切支丹の宣教師の服装。それを家屋の中とはいえ江戸で堂々と着ているのだ。

「てめぇ、一体何者だ…!?」

 刀を構え、そう言った京梧に男は静かに答えた。


「御神槌と言います。
 それとも、貴方がたの望むような答え方を致しましょうか?
 ……我が名は鬼道衆が一人、御神槌、と……」



 予想し得た答えだが、目の前のこの男と鬼は結び付け難かった。
 一瞬の沈黙の後、藍が口を開く。

「切支丹なのでしょう?
 貴方がしていることは、主の教えに背くことではないのですか?」
「それでは問いを返しましょう。
 貴方は、切支丹でありながら何故徳川ヘ与するのですか?
 切支丹の迫害を、島原の乱から今もなお続く弾圧を知らないわけではないでしょう」


 黙って睨み付ける藍に、御神槌は溜息を一つつく。
「主の教えから外れていることは重々承知です。
 それでもなお、私は復讐を遂げなくてはならないのです」


「復讐……?」
「知らないということは、罪です。
 知ろうとしないことは、もっと重い罪です。
 貴方がたには、真実を受け止めるだけの勇気がありますか?」
「…どういうことだ?」


「もしも知ろうと言う気が有るのならば、小石川療養所へ行きなさい。
 真の罪人は誰なのかが、わかることでしょう」 


 それだけ言うと、御神槌は龍斗達に背を向けて部屋を後にした。
 京梧が後を追おうとしたが、それを龍斗が留める。

「なんだよ、あいつをこのまま逃がす気か?」
「もっと良く周囲に気を配れ。部屋の外でかなりの数が構えている。
 ここは奴らの場所だ。……分が悪い」


 小石川療養所へ、と言ったからにはここから出て行く分には向こうも追う気はないのだろう。
 とりもなおさず、御神槌に言われた通りに療養所へ向かうことになった。


「切支丹に、療養所、か……いやな符号だ」



 夜も更けてきたので、療養所の戸は締まっている。
 いささか乱暴に戸を叩くと、中から出てきたのは幾分若い医者であった。
 不審そうに龍斗達を見たが、一行の中に藍の姿を見ると安心したように中に招き入れた。

「美里くん、どうしたんですか?」
「ええ、少しお伺いしたい事がありまして…」
「ここで、なんか隠してねぇか?」

 雄慶達がどう話を切り出そうかと躊躇している間に京梧があっさりと本筋に切りこんだ。

「おい、京梧!」
「いいじゃねぇか。たらたら話したって用件は変わらねぇだろ。
 で、どうなんだ?」
「え……そういわれましても」
「山猿、もう少し頭を使え。
 切支丹狩り、この言葉に思い当たることがあるだろう?」

 龍斗の出した言葉に、若医者の顔色が変わった。

「ほら、尋問ってのはこうやるんだ。
 さあ若先生、知っていることを教えてくださいますか?」

 わざわざ先生、と言う単語をつけ、丁寧語で問う。
 単に脅しつけて訊ねるよりもよほど恐ろしい。
 医者はついに陥落した。


「……嘗て島原の乱をはじめとして切支丹弾圧が行われたことは君たちも知っているだろう。
 改宗をせまり、切支丹を拷問にかけ、多くの切支丹達が命を落とした。
 切支丹宗門奉行井上筑後守正重もそれを行った一人だ。
 はじめは、確かに改宗を目的とするものだった。
 しかし次第に度を過ぎていき、やがてどれだけ人に苦痛を与えることが出来るかと言う歪んだ悦楽へと姿を変えていった。
 今、井上の直系重久は小石川日向の留守居具足奉行になっているが、その悪しき因習はまだ絶たれてはいない……」

「ちょ、ちょっとまってよ。
 今は切支丹の人なんてそんなにいないんじゃないの?」

 疑問の声を上げた小鈴に、龍斗は目を伏せたまま答えない。
 京梧が、ぽつりと押さえた声で言った。


「…そういうことか……。
 てめぇ、病人を売ったな?」
「そんな……!」

 小さく藍が叫ぶ。
 若医者は頭を抱えてうめくように言った。

「仕方が…仕方がなかったんだ!
 彼らを差し出さなければ私が連れていかれる!
 あそこに連れていかれるのだけは……なんとしても避けたかった……!」
「まあ、実のところを言えば健康な切支丹よりも病人の方が遥かに都合は良いな。
 弱っているから逃げることも出来ないし、拷問で命を落としても病の為亡くなったということにしておけばいい。
 ……如何にも畜生らしい下劣な考えだ」

 泣きながら許しを乞う医者を容赦なく殴りつけて京梧が叫ぶ。


「ふざけるな! てめぇ、医者だろう!
 助けるはずの立場の奴が……!」

「京梧、いくぞ」


 激昂する京梧に対して、龍斗は医者には目もくれず立ちあがった。

「龍斗、お前は腹がたたねぇのか!?」
「別に。
 当然のことだろう。自分の身が一番可愛いのは誰でも同じだ」
「それでも……!」
「末端を追い詰めてもしょうがない。
 あの切支丹の男がこれを知っていたということは当然上の存在も知ってのことだろう。
 あっさり自分たちを開放したと言うことは、…急いだ方が良いんじゃないのか?」


 切支丹改宗の名を借りて拷問が行われているとなると、あの男は井上を許しはしないだろう。
 と、なると自分たちがここに行っている間に彼が向かった先は明白だ。
 京梧も舌打ちしながら医者を放し、療養所を後にする。

 藍がちらり、ともの言いたげに龍斗を見る。
 言いたい事の凡その見当はついたが、それに関しては何も言わなかった。
 代わりに一言、言い放つ。


「お前があの男を責めても意味がない。覚悟が違いすぎる」
「……どういうこと?」
「自身がどう思おうとも切支丹であることを表面に出さずに幸せな生活を送っている輩の声に耳を貸す気はないだろう、と言うことだ」
「そんなことは……」
「自身がどう思おうとも、と言ったはずだ。」



 蛇の流行り病はほぼ確実に御神槌の仕業だ。
 急激に広まった病のせいで膿が表出し、曝される。
 それはあまりに性急なやり方だ。
 御神槌個人のやり方としては無論、鬼道衆の行動としても疑問が残る。
 奥で、もう一人誰かが糸を引いているような……。



 井上屋敷の惨状は、ある意味予想通りのものであった。
 人の口に上るのを避けるためであろう、人手は少なかったので容易く進入が可能だった。
 屋敷の奥に入ると通常の屋敷では有り得ないほどの広さの座敷牢が目に入る。
 中に閉じ込められている病人達は既に反抗する気力もないのかぐったりとその中に座り込んでいた。

「…先に井上とやらを探すとしようぜ」
 そう、京梧が言ったが探すまでもなくすぐに井上重久の方から姿を現した。 

「ぶふ、僕の屋敷で騒いでいるのは、誰だ!」
 耳障りな声で近づいてきたのは醜悪に肥え太ったまだ若い部類の男であった。
 仕立ての良い着物を身にまとって小奇麗に整えてはいるが如何せん本人の器が伴っていない。
 龍斗は眉を顰めた。
 一番嫌いな部類の人間だ。
 自分の家柄の高さを自分自信の価値と勘違いしている質の悪い人種。
 こいつが今までに傷めつけた人間一人分の価値もないであろうに。

「公儀隠密だ。大人しく縛につけ」
「な、なにを。僕は留守居具足奉行井上…」
「うるせぇよ」

 全てを言い終わる前に京梧が刀の鞘で殴りつける。
 人をいたぶるのにはなれていても自身の痛みにはなれていないらしくそれだけで井上は悲鳴を上げてもんどりうった。
 それを雄慶が容赦なく腕を引き立たせる。

「奉行所に引き渡す。大人しくついてきてもらおう」

 無様に泣き叫ぶ井上にかまわず半ば引きずるようにして屋敷を出る。




「彼を置いていってもらいましょうか」

 静かな声であった。
 龍斗は声の主、…御神槌に視線を向ける。
 屋敷の庭に彼は立っていた。
 黒ずくめの彼の服装は曇った夜の庭では幻のようにはっきりとしない。
 ただ、その瞳だけが憎悪の光を宿していた。

「…殺すためにか。そう言われても、こちらも仕事なんでな」
「全てを知って、それでもなお?」
「こんな畜生を庇うつもりも、義理もないがな」
「…あなたは、そんな者を庇護してきた幕府をなお信じるのですか…?」

「すべてを黒か白かにまとめてしまえば、そういうことになるのかもしれないな。
 しかしそうは行かないのが世の常、そうじゃないか?」


 ふざけたような龍斗の言葉に、御神槌は俯いた。

「そうかもしれません。 …しかし、私は幕府によって全てを失いました。
 そして今は私を救ってくださったお屋形様のお望みのままに……」

 そこまで呟いたところで、急に御神槌の身体に変調が訪れた。
 息が荒くなり、目が見開かれる。

「憎い…憎い。全て滅してしまえ……!」

 思わず小鈴が手を貸そうとしたそのとき、最終的な変化が起きた。


 …目醒めよ…


 叫び声とも唸り声ともつかぬ声を張り上げたと同時に身体が膨れ上がり、龍斗達の前に姿を現したのは。


「……そんな……!」
「鬼…。またかよ……」



 それは確かに龍泉寺でみた鬼と同じ変化を遂げていた。
 押しつぶされそうな陰気。
 既に目から知性は失われ、ただ目の前の敵に襲い掛かるだけの、修羅。



「…虫酸が走る……」

 その言葉通り苦虫を噛み潰したような表情をした龍斗は、御神槌であったモノが繰り出してきた拳を寸前でよけ、鳩尾に拳を叩きつける。
 怯んだところに、離れた位置から放たれた小鈴の矢が肩に命中する。
 京梧の刀が一閃したところで、勝負は決まっていた。


 小鈴以外は、以前の鬼の最期を覚えている。
 陰気に押しつぶされて消滅する道筋を、御神槌も辿るのだろうと、陰鬱な想像ながらも確信していた。
 しかし、一旦消滅するかに見えた御神槌だったが、消えうせるかと思われた肉体は、自然にもとの、御神槌自身の肉体へと戻った。
 その身体から、一つの小さな光が零れ落ちる。


「……?」


 珠であった。
 水晶に似て非なる黄色く光る珠。
 やがて、光は静かに消えていった。


「この珠が、陰気を吸い取ったのかもしれんな。
 円空殿なら何か判るやもしれんが…」
「とりあえず、預かっておく。」

 そういうと、龍斗は珠を懐に仕舞い込んだ。


「御神槌さん、しっかりしてください」

 藍が揺り起こすと、御神槌はゆっくりと瞼を開いた。
 不思議なことに、疲労衰弱はしているようだが体外的な傷はない。


「私は……まだ、生きているのですね……」
「そんなに簡単に楽になられてたまるか。
 考えること全てを放棄して修羅になれば、楽かもしれないがそれはすでに人ではない」
「そう……かもしれません、しかし、私はすでに後戻りはできません…」

 藍の手をやんわりと退けると、立ちあがる。


「罪を犯したと言うにはあまりにこの両手は鮮血で汚れてしまってる。
 祈りを捧げるには、あまりに神から遠い……。
 私の声が天に届くことはもう…ないでしょう」

「血で染まっているからその心まで穢れていると考えるのは早計だろう。
 自分自身は綺麗なままで多くの罪を犯しているものもいる。
 お前達の信じる神は、そんな事もわからない愚かな存在なのか?」
「緋勇さん!」

 藍が血相を変えて緋勇を制止したが、御神槌はただ微かに微笑んだだけだった。

「それでも、私はお屋形様を裏切ることは出来ません。
 それが、たとえ間違った道を歩むことになろうとも」
「いいんじゃねぇの、それで。
 俺も、お前も、護りたいものを護るために戦っている。
 それがただ違うものなだけだ。…そうだろう?」
「…ありがとうございます」

 京梧の言葉に軽く会釈を返すと、御神槌は地面に落ちていた自分の帽子をかぶりなおし、軽々と塀を乗り越えて去っていった。
 誰も、追わなかった。


「蓬莱寺、少しお前を見なおしたぞ。
 ただの阿呆かと思っていたがきちんと自分の考えを持っているんだな。なかなか気持ちの良い奴だ」
「気持ち悪い事を言うんじゃねぇよ、クソ坊主」

「そして、…緋勇。
 お前の言葉には不思議に敵さえも動かす力があるようだ。
 その存在が、いずれ大きな力となるかもしれないな……」

 緋勇は、薄く笑うだけで返事を返さなかった。



「あ、皆、雪だよ!」
「本当…。随分寒かったものね」



 小鈴の声に周りを見ると、季節はずれの雪がひとひら、ひとひら、地面に落ちていく。
 藍は思わずにいられなかった。
 御神槌もこの雪を見ているのだろうか。
 雪が当たりに満遍なく降り積もるように、天もまた、決して彼を見捨ててはいないだろう事を、彼は気づいてくれるだろうか…。





〜第四話へ続く〜

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あとがき

まず、ごめんなさい。←こればっかり
書くのに時間がかかりすぎて自分のへっぽこメモだけでは記憶が曖昧で後半ずいぶん捏造が入っています。
メモにある謎の記号が解明できない…「迷」とか「6間」とか、なんだーっ!
閑話休題。
前半でさっぱり姿を見せなかった御神槌と龍斗の会話は自分で描いていて楽しかったです。
今回初登場の小鈴は何も考えていないようなキャラ(失礼)がかなり使いやすかったです。意外にも。
締めがなぜか藍ですが、あの独白を龍斗が考えていたらちょっと怖いんで(笑)。
前編、後編と分けてしまったら第十一話十二話の燧火前編後編はどうするんだろうとか今から心配してみたり。