―――黒い影は行った。 「正気ですか」 と、そうライダーが問う。 風もないのに翻る長い髪がその同様を如実に示している。 自分の外套の赤は既に元々の赤なのか、それとも血で染め上げられた朱なのか定かでない。 同じく影の直撃を受けながらも衛宮士郎の腕のように消失してしまわなかったのはひとえに英霊という特殊性の賜物だ。 咄嗟に腕の中に庇った凛は、 無傷だった。 無論正気だ。 もし今の自分が狂気にかられているというのならば 英霊となってから今までの間、とうの昔に正気は失われていたと言う事なのだろう。 自分はもう限界なのは判りきっている。 このままだと、衛宮士郎……彼も死ぬ。 それは、嘗て自分が望んでいた結果ではあるが、その現実を彼は良しとはしなかった。 この腕を遺していけば、衛宮士郎は生き延びる事ができるだろう。 通常では不可能なことだが、自分と彼の関係ならば不可能は可能になる。 生き延びる事が出来た彼は、その腕で守る事ができるだろう。 正義の味方などとしての不特定多数ではなく、たった一人の大切な人を。 だから、ここでは自分のような歪な存在は生まれない。 切り落とす前に、その左手でアーチャーは一度だけ、 そっと凛の髪を撫でた。 意識を失っている彼女に、限りない慈しみを込めて。 凛。 凛。 とうの昔に忘れ去っていた名前。 名を失っても存在は消し去れなかった、大切なもの。 自分が君に喚ばれたという奇跡にどれだけ歓喜したか、彼女は知らない。 尤も、知らなくていい事実だ。 決して、口には上らせない言葉。 オレは、お前と共にいられて、お前を護る事が出来て 本当に幸せだったよ。 「ここまでか、達者でな、遠坂」 そんな言葉を口にして、彼は腕一本を残し消滅した。 次なる破滅に喚び出されるまで。 |